中弁連の意見

2007年(平成19年)8月22日

中国地方弁護士会連合会
理事長 大 本 和 則

 

  1.  山口県光市において当時18歳であった元少年により主婦とその長女が殺害されたとされるいわゆる光市事件の裁判は、最高裁判所が2006年6月に被告人を無期懲役に処した広島高等裁判所判決を破棄・差し戻し、現在、同高等裁判所に、審理が係属している。
     この事件に関して、今年の5月29日に日本弁護士連合会に「元少年を死刑にできないならば弁護人らを銃で処刑する」など記された脅迫文書が銃弾の模造品とともに郵送された。また、一部報道によると7月7日には朝日新聞東京本社および読売新聞東京本社にも同様の脅迫文書等が送付されるなどし、さらに主任弁護人の事務所にも複数の脅迫文等が送付されるなど、同事件の弁護人の活動に対する脅迫行為が繰り返されている。これは極めて深刻かつ憂慮すべき事態であり、当連合会はこのような脅迫行為に対し厳重に抗議するため本声明を発表するものである。
     
  2.  光市事件は、母親と幼い子供の命が失われたという大変痛ましいもので、このような事件の内容から、社会における関心が集まり、一部メディアの報道などでは被告人や弁護人に対する厳しい論調も見受けられる。このような言論による議論や批判は、憲法が言論の自由を保障していることからも十分に尊重されなければならない。しかし、この事件の内容がどのようなものであれ、被告人には弁護人依頼権の保障によって十分な防御の機会が与えられなければならず、その権利を十全ならしめるための弁護人の法廷内外での活動に対して、暴力を背景とする脅迫行為による妨害がなされることは、絶対に許されない。
     
  3.  周知のとおり、人類の刑事裁判の歴史の中で拷問など多くの人権侵害が繰り返されてきた。こうした過ちに対する反省から、刑事手続におけるデュープロセス(適正手続)の原則が確立されるに至った。被告人の弁護人依頼権は、この適正手続原則の中核をなす極めて重要な権利として、あらゆる被告人に対し保障されるべきものと位置づけられる。
     このような歴史的経緯を踏まえ、我が国の憲法第31条は「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他刑罰を科せられない。」として刑事手続における適正手続の原則を定め、同第37条3項において「刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる」と規定し、弁護人依頼権を明文で定めている。
     また、「死刑に直面している者の権利の保護の保障の履行に関する国連決議」では、「死刑が規定されている罪に直面している者に対し、死刑相当でない事件に与えられる保護に加えて、手続のあらゆる段階において弁護士の適切な援助を受けることを含む弁護を準備する時間と便益を与えることによって特別な保護を与えること」が求められている。光市事件の被告人は、まさに死刑に直面している者であり、弁護人による最大限の援助を必要としている。
     
  4.  さらに、被告人の弁護人依頼権を実効あらしめるために、弁護人たる弁護士の弁護活動の自由もまた最大限保障されなければならない。
     国際連合の「弁護士の役割に関する基本原則」(国連第45回総会1990年12月14日採択)は、弁護士の職務遂行のための保障として、その第16原則において、「政府は、弁護士が(a)脅迫、妨害、いやがらせ、困惑あるいは不当な干渉を受けることなく、その職分のすべてを果たすことができ、(中略)(c)一般に承認された職業的専門的職務をすべて果たしうること、確立された職務上の義務、基準、倫理に従ってとったいかなる行為についても、そのために訴追を受け、あるいは行政的、経済的またはその他制裁を受け、あるいはその脅しを受けることのない状態を確保しなければならない」と定め、さらに第17原則において、「弁護士が、その職務を履行したことをもって、その安全が脅かされた場合には、彼らは官憲によって十分に保護されなければならない」と規定しており、弁護活動の自由の保障は国際社会においても確立されている。
     
  5.  刑事事件において被告人のために弁護活動を行うことは、弁護士に与えられた極めて重要な社会的使命であり、また、弁護士がその職責を全うすることの社会的意義は大きい。
     弁護人が十分な弁護活動を行うことによって、冤罪の防止など適正な国家刑罰権の行使が実現する。また、弁護人が被告人の権利の擁護者として被告人の言い分を最大限主張することにより、被告人が真摯に事実と向き合う環境も整う。
     弁護士は、このような被告人のために最大限の弁護活動を行うことの社会的な有益性を認識しているからこそ、刑事弁護を自らに与えられた重要な社会的な職責の一つと自覚し、時に世間の批判を浴びながら、刑事法廷において被告人のために敢然と弁護活動を展開するのである。
     暴力を背景とする脅迫行為によって刑事弁護活動を妨害しようとすることは、弁護人の弁護活動の重要性を全く理解しないものであり、絶対に許すことができない。
     
  6.  刑事事件においてこのような脅迫行為が繰り返されるとすれば、2年後に実施される裁判員制度にも、極めて深刻な影響を与えることは必至である。裁判員に選任されて被告人を裁く立場に置かれることによって、自らの身が危険に晒される可能性があるとなれば、裁判員への選任を拒否する者が相次ぐことが予想されるし、評議における判断でも、被害感情や報道の論調ばかりを気に掛け、罪刑の均衡などを考慮できなくなることが危惧されるからである。
     
  7.  以上述べてきたとおり、今回の一連の脅迫行為は、単に脅迫罪を構成する犯罪行為というだけに止まらず、弁護人の刑事弁護活動を委縮させることによって被告人の弁護人依頼権という憲法上の権利を蹂躙し、刑事裁判の適正な遂行およびその目的の実現を極めて危うくする反社会的行為であって、当連合会はこの一連の行為に対し強く抗議するものである。そして、刑事弁護活動に対する妨害行為に対し、全ての弁護人が決して屈することなくその職務を全うすることを最大限支援していくことをここに表明するとともに、弁護人が刑事事件において果たす役割の重要性について市民・社会の理解を求めるものである。

以上