中弁連の意見
政府は、教育基本法改正案を次期通常国会に提出する方向で、その準備作業を進めている。
しかしながら、教育基本法は準憲法的な性格を持つ教育の根本法で、また内容的にも憲法で保障された教育を受ける権利を実現するために定められたものであり、さらに教育はそれを受ける者の内心の自由と強く結びつくものであるから、その改正にあたっては、憲法が明示する原理・価値が、より生かされるものでなければならない。加えて、教育基本法は、子どもを一人の権利主体として尊重し、子どもの最善の利益を掲げる子どもの権利条約などが示す国際準則にも適合すべきである。従って、これらの観点からその改正については慎重になされなければならないものであるところ、今回の準備作業は、それらについての議論が十分尽くされることなく、拙速に進められている。
さらに、現在進められている教育基本法改正作業の動きをみると、例えば「教育の目的」の中に「伝統、文化」の尊重や「郷土と国を愛する心」の涵養を掲げ、また「宗教的情操」教育を行うこととされているが、このような個々の内心にかかわる価値意識を公教育の場において教育目標に掲げ、それを押し付けることは、憲法や子どもの権利条約に規定する内心の自由を侵害しかねない。また、国や地方公共団体が教育内容にまで積極的に介入することを認めようとする動きは、憲法が予定する国家の教育権能を踏み越えるものであり、教育のあり方に反する重大な問題を生じさせるおそれがある。
したがって、当連合会は、教育基本法改正については、上記のような観点に鑑み、慎重に議論を尽くすべきであり、また現在進められようとしている教育基本法改正の動きは憲法が明示する原理・価値や子どもの権利条約などが示す国際準則に抵触するおそれの強いものであるから、今回の教育基本法改正の動きに反対すると共に、併せて子どもの権利条約などの国際準則や国際連合子どもの権利委員会の勧告に則り、現行の教育基本法の趣旨を生かす施策を充実させることを政府に求めるものである。 以上決議する。
2005年(平成17年)10月14日
中国地方弁護士大会
提案理由
1 (1)政府は、2003年(平成15年)3月、中央教育審議会の「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する答申を受け、与党の「教育基本法改正に関する協議会」(以下「与党協議会」という。)での議論などに基づき、同法の改正案を次期通常国会に提出する方向で準備を進めている。
(2)ところで、教育基本法は、憲法公布後、施行前の1947年(昭和22年)3月、「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」(前文)との認識の下に、「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため」制定されたもので、個人の尊厳を人間教育の本来の目的としており、憲法の理念を実現するために憲法と一体性を持ったいわば準憲法的な性格を有するものである。
また、同法は、内容的にも、憲法26条の教育を受ける権利を実現するために定められた根本法規であること、及び、教育は人間の内面的価値に関する文化的営みとして憲法が保障する内心の自由と強く結びつくものであること から、同法の改正を議論するにあたっては、当然、憲法の原理・価値が遵守されることが必要である。
さらに、同法は、子どもを一人の権利主体として尊重し、子どもの最善の利益を掲げている子どもの権利条約などの国際準則にも適合していなければならない。
従って、同法の改正にあっては、その内容が憲法が明示する原理・価値や国際準則に適合しなければならないことはもとより、上記のように、同法が、準憲法的性格を有することや教育に関する根本法であることから、その改正には十分な慎重さが求められるはずである。従って、まずは、現行法の理念が教育の現場に、十分に反映されているのか、憲法の価値・原理を反映させるために現行法の改正ではなく 運用面での改善の余地はないのかが十分検討され、国民の間で十分な議論が尽くされる必要がある。
ところが、これまで現行の教育基本法の理念が教育現場に反映されているのか否かについての検証がなされた形跡はない。のみならず、政府(文部科学省)は、与党協議会の中間報告後に策定された政府案を、与党協議会内部の検討会において配布しながら会議後には回収するという対応をし、政府案の公表をしないままに密室での協議を進めている。これでは、公開の場における国民の間での議論がなされているとは到底言えず、 拙速に同法改正作業が進められていると言わざるを得ない。
(3)また、これまでに公表されてきた改正の動き(2003年(平成15年)3月の中央教育審議会答申)の中では、例えば「教育の目的」の中に「伝統、文化」の尊重、「郷土と国を愛する心」の涵養を盛り込み、「宗教的情操」教育を行うなどとしている。
ところで、そもそも「伝統、文化」の尊重や「郷土と国を愛する心」の涵養といったことは、教育の結果として自然に身に付くべきものであり、そのような個々の内心にかかわる価値意識を公教育の場において教育目標に掲げることは、一定の価値意識を押し付けて個人の内面的価値にまで立ち入る結果を招き、憲法や子どもの権利条約で規定する思想・良心の自由を侵害するおそれがあるうえ、「公教育の中立の原則」を掲げた近代教育の大原則にも反することになりかねない。
特に、わが国では多数の在日外国人の子女も教育を受けているという現状や、社会における国際化の進展により今後も多数の外国人の子女が教育を受けるという状況からしても、教育現場で「伝統、文化」の尊重や「郷土と国を愛する心」の涵養を「教育の目的」とすることは、これらマイノリティー・グループの子どもらの思想・良心の自由を侵害し、さらに、他文化と共生する教育が求められている時代の流れにも逆行することになりかねない。
また、「宗教的情操」教育を公教育の場で実施しようとすることは、現行教育基本法9条2項が、本来、宗教的情操教育を禁止している趣旨に反するとともに、宗教を信じない自由を保障している信教の自由(憲法20条)の侵害につながるおそれがある。
(4)さらに、現在の改正の動きの中では、国・地方公共団体の責務について規定するにあたり、教育行政が「教育内容」に積極的に介入することを認めるものとなっている。
しかし、最高裁判所は、憲法26条に関連し、教育権の所在、すなわち教育内容について誰が決定しうるかにつき、「子どもの教育は、教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである」として、子どもの学習権を確認した上で、教授内容について批判する能力を有しない子どもの福祉的観点や教育の機会均等をはかる上からも全国一定の水準を確保すべき要請があることから、「国にも必要かつ相当と認められる範囲において教育内容についてこれを決定する権能を有するもの」としながらも、「本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育・・・・に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される」と結論付けている(「旭川学力テスト事件」、昭和51年5月21日判決)。
また、この最高裁判所の判断とともに、故芦部信喜氏外多くの憲法学者は、「国は、教科目・授業時間数等の教育の大綱については決定できるが、それ以上の過度の教育内容への介入は教育の自主性を害し、許されない。」との見解に立っている(芦部信喜著「憲法-第3版-」249頁)。
現行法10条を改正し、国や地方公共団体が教育内容に積極的に介入することを認めることは、「教育に対する国家の介入はできるだけ抑制的にすべきである」との原則に違反するおそれが強い。
このように、現在進められている改正の動きの中で示されている内容は、憲法論的に考えても、その内容において教育を受ける権利を侵害するおそれの強いものである。
(5)また、国際連合子どもの権利委員会(CRC)は、1998年(平成10年)6月及び2004年(平成16年)2月、日本政府に対して、子どもの権利条約の実施状況について勧告(最終所見)をし、その中で①過度に競争主義的な教育制度が子どもの肉体的及び精神的な健康に悪影響を与え、子どもの能力を全面的に発達させることを阻害していること、②体罰・いじめなどが多く発生し、その取り組みが不十分であること、③体系的人権教育が不十分であること等を指摘し、さらに、子どもに関する立法施策には子どもに対する保護・恩恵の観点ではなく、子どもの権利を充足する観点からの検討をするよう求めている。
ところが、現在の改正の動きの中では、「改正」の背景としてのグローバル化・国際化という議論をしながら、国際準則やCRCの勧告に基づいた検討がなされた形跡はないうえ、すでに述べたとおり、「教育の目的」の中に「伝統、文化」の尊重や「郷土と国を愛する心」の涵養を盛り込み、また「宗教的情操」教育を行うこととするなど子どもの内心に深く関わるものを含んでおり、国際的な要請にも逆行するものとなっている。
2 以上の理由から、当連合会は、憲法が明示する原理・価値、子どもの権利条約などが示す国際準則に照らし、教育基本法の現在の改正の動きに反対するとともに、併せて子どもの権利条約やCRCの勧告に基づいた検討を行い、現行教育基本法の趣旨を全うする方向での子どもの福祉を増進させる施策(体罰やいじめの問題に対する取組みの強化や体系的な人権教育の実施など)を充実させることを求めるものである。
よって、上記のとおり決議する。