中弁連の意見
当連合会は、
- 国に対し、遅くとも裁判員制度の導入時までに、被疑者・被告人の取調べの全過程を録画し、これを欠くときは、証拠能力を否定するか少なくとも任意性の疑いが推定される法律を整備すること
- 検事総長に対し、現在、各地方検察庁で実施している取調べの録画について、取調べの一部を録画する運用を改め、取調べの全過程の録画をすること
- 警察庁長官に対し、現在、各警察署で実施している取調べの録画について、取調べの一部を録画する運用を改め、取調べの全過程の録画をすること
を求める。
以上のとおり決議する。
2008年(平成20年)10月10日
中国地方弁護士大会
提案理由
1 総論
取調べの可視化(取調べの全過程の録画・録音)は、当連合会、日本弁護士連合会、及び各地の弁護士会が長年その実施を求め続けているものであり、捜査機関の取調べにおける虚偽の自白の発生を防止するためには、必要不可欠のものである。
世界的に見ても、今日では、取調べの可視化は、イギリス、イタリア、フランス、アメリカの多数の州といった欧米諸国のみならず、韓国、台湾、香港といったアジア諸国でも既に実施されているものであり、まさにその実施は世界の趨勢であるといえる。
にもかかわらず、捜査機関は、取調べの可視化の実施を拒み続けてきたが、以下の2に述べる裁判員制度の実施のため、取調べの可視化を全面的に拒否はできなくなった。
しかしながら、捜査機関は、今日に至るもまだ取調べの全過程ではなく、一部の録画しか認めようとしないところ、以下の3に述べるように、一部の録画には非常に大きな問題点があり、これを実施する意味は無いに等しく、逆に冤罪を生じさせる危険性を増大させるだけといえる。
そして、捜査機関は、一部録画で十分であると主張する前提として、あくまでも今日行われている取調べの大部分には特段の問題点がないと考えているようであるが、以下の4に述べるように、2007年(平成19年)に明らかとなった氷見事件及び志布志事件から、今日でも日常的に違法な虚偽の自白を生むおそれの高い取調べ方法が行われていることは明らかである。
以下、詳しく述べることとする。
2 裁判員制度の円滑な実施には取調べの可視化が不可欠であること
2009年(平成21年)5月21日からの実施が予定されている裁判員制度においては、取調室で作成された自白調書の任意性、信用性についても裁判員が判断しなければならない。
しかしながら、取調べの可視化が実施されていなければ、取調室という密室でどのような取調べが行われたかについての証拠は、結局、取調官及び被告人の双方供述のみしかないことになる。
そうすると、これまでの裁判と同様に、取調官と被告人の双方が、取調べの内容に関する供述を行うことになるが、それはある程度長時間のものとならざるをえないから、裁判員の負担を減らすため短期間の連日開廷が予定されている裁判員裁判においては、非常に問題であるといえる。
しかも、取調官と被告人の双方の尋問を行ったとしても、その内容は著しく齟齬し、まさに水掛け論となってしまう場合が多いところ、そのような場合には、専門家である裁判官ですら自白調書の任意性、信用性の判断が困難であるのだから、一般市民である裁判員が判断することは、現実的には不可能であるといわざるを得ない。
このような裁判員裁判における問題点について、元裁判官等の幾つかの論考の中で指摘がなされ、さらに長年にわたる弁護士会からの要請もあり、最高検察庁は、2006年(平成18年)7月から東京地方検察庁で試験的に取調べの一部の録画を始めた。そして、その後、試験的実施を行う検察庁は順次増やされ、2008年(平成20年)4月以降、全国の地方検察庁及び裁判員裁判対象事件を取り扱う地検支部において同様に取調べの一部の録画が実施されている。また、警察庁は、2008年(平成20年)8月から一部の警察で始まった取調べの録音・録画の試みを2009年度(平成21年度)には全国に拡大する方針を示している。
しかし、このような取調べの一部の録画は、以下に述べるように大きな問題点があり、到底容認できるものではない。
3 一部過程の録画の問題点
検察庁で行われている取調べの一部録画は、検察官自身が「任意性立証のため必要かつ相当」と判断した部分のみを録画するものであり、しかも、2008年(平成20年)3月に公表された最高検察庁の報告によれば、実際に録画されている取調べの場面は、既に被疑者が自白調書に署名した後に、検察官が被疑者に対し自白調書を示すなどして、その記載内容を確認している場面(レビュー方式)、及び、検察官が被疑者に対し、自白調書の内容を読み聞かせるなどして確認させ、署名をさせる場面(読み聞かせ・レビュー組み合わせ方式)の2つのみである。
つまり、録画されている取調べの「一部」とは、現に被疑者が自白をしている場面だけなのである。
しかしながら、違法な取調べは、まさに現に否認している被疑者を自白させるために行われるものであるから、自白調書が作成された後の取調べを録画することの意味は無いに等しい。むしろ、最終的には再審で無罪となったものの一旦は死刑判決が確定した事件において、既に被告人が自白した後の取調べを録音したテープが証拠として提出されていることを考えると、現在、検察庁が試行している「一部」録画は、冤罪の危険性を増大させるものと言わざるを得ない。
しかも、一部の裁判例(大阪地判平成19年12月27日)は、既に作成されている自白調書の内容を確認するだけの取調べにおいてでさえ、自白の任意性を疑わせる取調べがあったと認定して、自白調書の任意性を否定しているのである。
にもかかわらず、最高検察庁及び警察庁が、未だに上記のような一部の取調べを肯定するのは、その前提として問題となるような取調べはごく稀なケースでしか行われていないという認識があるからとしか考えられない。
しかしながら、違法な取調べは戦後間もないような古い時期だけではなく、今日でも日常的に行われているのであり、最高検察庁及び警察庁の認識は明らかに誤りである。
そして、今日でも違法な取調べが日常的になされていることの何よりの証左は、以下に述べる志布志事件及び氷見事件である。
4 志布志事件及び氷見事件
2007年(平成19年)には、氷見事件(富山の強姦誤認逮捕無罪事件)、志布志事件(鹿児島における公選法違反無罪事件)という無実の被疑者が虚偽の自白をしていた事件が相次いで明らかとなった。
氷見事件では、取調官が「お前のお姉さんが『間違いないからどうにでもしてくれ』と言っているぞ」と虚偽に事実を告げるなどの違法な取調べの結果、虚偽の自白が生まれていた。また、志布志事件では、ある被疑者の父親や孫から被疑者に宛てられた言葉であるとして、「お父さんはそういう息子に育てた覚えはない。」「早くやさしいじいちゃんになってね」と記載された紙を取調官が被疑者の足首を掴んで何度もふませるなどの暴挙を行ったことが判明し、取調官に対して特別公務員暴行凌虐罪で有罪判決が出された。
この2つの事件は、あくまで氷山の一角であり、決して稀なケースであるとは考えられない。今日でも違法な取調べは日常的に行われているのである。
にもかかわらず、最高検察庁及び警察庁が上記2つの事件について、捜査の問題点をまとめた報告書の内容は、一番の根本的な問題である虚偽自白を生んだ取調べ方法の問題点を率直に認めるものとは到底言えない。何故虚偽の自白を生んだのかという根本的な問題点から敢えて目をそらしているのである。
このような取調べ方法の問題点を率直に認めようとしない捜査機関に、自発的な取調べの改善を期待することなどできるはずがない。警察庁は、2008年(平成20年)1月に「警察捜査における取調べ適正化指針」を発表したが、その内容はあくまで組織内の監督によって取調べの適正化を図ろうとするものであって、従前通りの密室における取調べを温存しようとするものであるから、これによって違法な取調べを無くすことなど到底不可能なのである。
したがって、取調べの全過程の録画・録音(取調べの可視化)以外には、国民が期待する適正な取調べを実現する手段がないことは明らかなのである。
5 まとめ
以上述べてきたことからすれば、今日でも、捜査機関が日常的に違法な取調べを行っていることは明らかであり、このような違法な取調べを本当に根絶するためには、取調べの一部ではなく、全過程の録画・録音、つまり取調べの可視化が必要不可欠であることもまた明らかである。
そして、取調べの可視化の実現を担保するためには、取調べの可視化がなされていない供述調書については、その証拠能力を否定するか少なくとも任意性の疑いが推定される法律を整備することが不可欠である。
このような法整備無くして裁判員裁判を実施することは、多数の冤罪を招く危険性が極めて高く、他方、供述調書の証拠能力の有無をめぐり徒らに裁判の長期化を招き裁判員に多大な負担を強いることにもなりかねないのであるから、遅くとも、裁判員制度が実施される2009年(平成21年)5月21日までには、被疑者・被告人の取調べの全過程を録画・録音し、これを欠くときは、証拠能力を否定するか少なくとも任意性の疑いが推定される法律が整備されなければならない。
そして、既に民主党が提出し、2008年(平成20年)6月4日に参議院で可決された法案は、まさに上記内容の法律であり、一刻も早急に衆議院でも同法案が可決されなければならないのである。
よって、上記のとおり決議する。
以上