中弁連の意見

当連合会は、

  1.  法務大臣、各矯正管区・各刑事施設の長に対し、刑事施設に拘禁されているすべての被収容者について、その症状(診療科目)に応じた十分な治療を受ける専門科の医師を含む医療スタッフの人的資源の確保に積極的に取り組むこと及び増員のための財政的措置を採ることにより、刑事施設の医療体制の充実を図ることを要請する。
     
  2.  政府及び国会に対し、現在、十分機能していない指名医による診察制度について、受診要件の緩和や相当な治療における医療費の一部について国が負担する等被収容者等がより利用しやすい制度への抜本的法改正を要請する。

 

 以上のとおり決議する。

2010年(平成22年)10月1日

中国地方弁護士大会

提案理由

1 刑事施設内において被収容者が医療を受ける権利を有していること

 すべての国民が、自らの健康を保持し生命を維持するために、必要かつ適切な医療を受ける権利を有することは、憲法第13条及び第25条、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)第12条第1項(「この規約の締約国は、すべての者が到達可能な最高水準の身体及び精神の健康を享受する権利を有することを認める」)などによって、明らかである。

 刑事施設に収容されている者であっても、この点で一般国民と異なる取扱いが許されるものではない。市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)第10条第1項が、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して取り扱われる」ことを規定している以上、被収容者も医療を受ける権利を有することは明らかである。

 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律(以下「刑事施設被収容者処遇法」という。)第56条が「刑事施設においては、被収容者の心身の状況を把握することに努め、被収容者の健康及び刑事施設内の衛生を保持するため、社会一般の保健衛生及び医療の水準に照らし、適切な保健衛生上及び医療上の措置を講ずるものとする」と規定しているのも、この趣旨である。

 しかし、刑事施設内においては自由が制限された集団生活であることから、一般の市民のように医療機関を選択する、あるいは自己の症状や都合に合わせて診察することは不可能である。

 したがって、国は、刑事施設を設置して運営し、被収容者の自由を制限する以上、被収容者が適切な時期に医療を受けられるように配慮すべき義務があるというべきである。

 

2 被収容者は、診療科目に応じた治療を受ける権利を有していること

 このように、被収容者の医療を受ける権利が保障されているが、この保障は、単に資格ある医師の診断・治療を受ける機会を付与すれば良いというものではなく、病気の治癒に向けた実質的な医療が提供されなければならないことはいうまでもない。例えば、一般的な市民においても、目の治療のためには眼科へ、精神疾患の場合は精神科で診療することは当然のことであり、一定の専門性が必要な診療科目においては、専門性を有する医師による診察がなされなければ、適切な治療をすることは不可能であることは明らかである。

 特に、刑事施設の最低基準を定めた国際的基準である1958年(昭和32年)7月31日国際連合経済社会理事会において承認採択された「被拘禁者処遇最低基準規則」は、「全ての施設においては少なくとも1名のある程度精神医学の知識を有する資格にある医官による医療を受けさせることができるようつとめなければならない」(第22条第1項)、「資格を有する歯科医官の治療は、全ての被拘禁者が利用できなければならない」(同第3項)、「刑事施設の医務課または精神医務課は、精神医学的な治療を必要とするそのほかの全ての受刑者(精神病であることが判明した受刑者及び精神障害または精神異常の被収容者以外の受刑者)に対して、治療を施さなければならない」(第82条第4項)と、刑務所医療における精神科及び歯科医療について特別の条項をもって定めている。

 以上から、被収容者は、症状に対して診療科目に応じた治療を受ける権利を有しており、特に精神科及び歯科については、国及び各刑事施設は、被収容者の症状に応じて、精神医療の専門家である精神科医、歯科医師の治療を受けさせることが、国際法上も要請されているということができる。

 

3 中国地方の刑事施設医療の現状について

 当連合会は、2004年(平成16年)度第58回中国地方弁護士大会(岡山)において、国、法務省、刑務所に対して、「受刑者が必要かつ十分な医療を受けることができるように医師及びそのほかの医療スタッフを緊急に増員し、そのための予算措置を講ずること」を求めた島根県弁護士会提案の「受刑者に対する医療の改善を求める議題」を決議している。

 残念ながら、中国地方における刑事施設の医療体制については、新設された2つの社会復帰促進センターを除いては、2004年(平成16年)当時とほとんど変わっていないのが現状である。

 常勤医の体制については、鳥取刑務所(休養患者数平成21年延べ4,231名)、松江刑務所(同5,420名)、広島拘置所(同104名)、山口刑務所(同918名)、岩国刑務所(同1,003名)については常勤医各1名、岡山刑務所(同1,937名)については常勤医3名、医療重点施設である広島刑務所(同7,246名)においても、常勤医4名であり、2004年(平成16年)当時とほとんど変わっていない。担当専門科目についても外科又は内科、産婦人科(岩国刑務所のみ)であり、精神科の常勤医師はいない。

 外科・内科以外の専門科目についての診療状況は、精神科・皮膚科・整形外科・眼科・耳鼻咽喉科について年3日~月2日(松江刑務所のみ眼科が月5回)にとどまっている。歯科についても週1~2回であり、収容者全体からすると極めて少ないとい言わざるを得ない。

 なお、いずれの施設も夜間に常勤医は不在であり、唯一広島刑務所が医師の宅直を置いているのみである。

 中国地方の刑事施設では、唯一、美祢社会復帰促進センターが、他の施設と比較して充実したものとなっており、収容者数753名、休養患者数が29名のところ、婦人科、歯科が各週2回、精神科、口腔外科が各週1回の外部診療がある。同施設は、犯罪傾向の進んでいない短期受刑者を収容する施設であり、職業訓練を主としていることから比較的若年の受刑者が多い。それにもかかわらず他の刑事施設よりも相当充実した医療体制が組まれている。

 他の刑事施設の医療体制についても、少なくとも美祢社会復帰促進センターと同程度の医療体制を構築しない限り、被収容者の医療に対する権利を侵害しているといわざるを得ない。

 

4 被収容者の苦情及び人権救済申立ての現状

 このようにいっこうに改善しない刑事施設の医療について、被収容者からも苦情や人権救済の申立てが相次いでいる。

 中国地方にある刑事施設において、2009年(平成21年)中の刑事施設被収容者処遇法第168条に基づく刑事施設の長に対する苦情の申し出件数のうち、医療に関する苦情件数は44件に上り、苦情の申し出件数総数の約12%を占めている。

 中国地方5県の各刑事施設に設置されている刑事施設視察委員会のうち、少なくとも3施設の視察委員会報告書において、刑事施設内の医療体制の充実について触れており、受診待ち期間の解消、歯科・精神科の医療体制の整備を求める内容となっている。

 また、当連合会内の各弁護士会人権擁護委員会に対する被収容者からの医療に関する人権侵犯救済申立件数は、2003年(平成15年)度においては27件であったものが、2009年(平成21年)度においては合計37件に増えている。
 特に、精神医療に関しては、2008年(平成20年)12月に鳥取県弁護士会人権擁護委員会が、鳥取刑務所長に対し、精神疾患の可能性のある被収容者に対しては早急に専門家による診察を実施し、必要に応じた診察及び処遇をすることを要望している。さらには、広島弁護士会において、2009年(平成21年)6月25日付けで広島刑務所長及び法務大臣に対し、常勤の精神科医が不在で定期的に診察に訪れる精神科医師も不在であり、長期間精神科の治療を受けることができない体制になっており受刑者の医療を受ける権利を侵害した、として勧告の処置が採られているところである。岡山弁護士会においても2010年(平成22年)5月には、岡山刑務所長に対し、精神科の治療について、医師が直接の診療をすることなく医薬品を処方することを防止する体制を整備することを要望している。

 そのほかにも眼科、整形外科等の常勤医師の専門ではない科目、あるいは肝炎治療等の一定の専門的知識が必要と思われる疾病の治療に関し、十分な治療・処置が受けられないとする被収容者からの人権侵犯救済申立ても散見される。

 

5 現在の刑務所の状況は被収容者の医療を受ける権利を侵害していること

 このような現状は、被収容者の適切な医療を受ける権利を侵害しているといわざるを得ない。刑事施設の現場においては、医師及び医療スタッフの確保や被収容者の外部治療委託を含めてぎりぎりの努力を行っていることは、各施設の刑事施設視察委員会の報告で明らかであるが、人的制約により、被収容者の医療上の権利が奪われることはあってはならないことである。

 したがって、法務大臣に対しては、大幅な予算措置を含む刑事施設における医療の抜本的改革を図るとともに、各矯正管区及び各刑事施設においても、更なる医療体制の充実に向けた努力を要請するものである。

 

6 指名医による診察制度の改善について

 刑事施設被収容者処遇法には被収容者の新しい医療的処遇として、指名医による診察制度を設けた(同法第63条第1項)。同条項は、刑事施設の長が、負傷もしくは疾病にかかっている被収容者の申請に基づき、「傷病の種類及び程度、刑事施設に収容される前にその医師等による診療を受けていたことその他の事情に照らして、その被収容者の医療上適当であると認めるときは、刑事施設内において、自弁により」、刑事施設職員ではない医師の診察を受けることを許すことができる、と規定している。

 しかしながら、当連合会の調査では、中国地方の刑事施設における2009年(平成21年)の申請件数が3件、許可件数が0件と全く利用されていない。全国的にも歯科においてインプラント治療が認められた例が数件あるのみであり、それ以外に許可になった事例はないとのことである。また、被収容者が、刑事施設職員に対し、同制度を利用したいとの相談があっても、同職員が、現在定められている要件を満たしていないとして、被収容者に同制度に基づく申請をしないよう働きかけている実態が認められる。被収容者が利用したくても利用できない制度になっていることは明らかである。

 同制度が全く利用されていない大きな原因は、入所以前より診察していることが要件となっていること及び全額自弁(自己負担)であることだと思われる。

 上記で述べてきたとおり、現在、各刑事施設において充実した医療を提供できない以上、同制度の要件を緩和し、治療の必要性が認められる場合で指名された医師が自己による治療が必要であると認めた場合には、指名医による診察を受けさせること、必要かつ相当な治療の場合は、治療費のうち、健康保険適用時の本人負担分相当額を超える部分について、国が負担する等の経済的にも被収容者が利用しやすい制度を構築する必要がある。

 そのためには、指名医の診察制度を定めた刑事施設被収容者処遇法第63条第1項及び同法に伴い規定された訓令等を改正する必要がある。

 刑事施設被収容者処遇法附則第41条は、施行日である2006年(平成18年)5月24日から5年以内に同法の施行の状況に検討を加え、必要ある場合は、その結果に基づいて必要な措置を講ずると規定しており、間もなく見直し時期が到来する。

 この機会に、政府及び国会に対し、同制度について、立法的解決を含めた制度改正の要請を行うものである。

以上