中弁連の意見

現在、全国13か所の国立ハンセン病療養所は、入所者の高齢化及び減少に伴い、隔離政策の中で生き抜いてきた証を物語ることができる入所者が減少しており、いかに日本のハンセン病隔離政策の歴史を語り継いでいくかが喫緊の重要な課題となっている。

厚生労働省の調査によれば、2022年(令和4年)7月末日現在、全国13か所の国立ハンセン病療養所の入所者数は899名、平均年齢は87.6歳である。岡山県にある二つの国立ハンセン病療養所のうち、長島愛生園の入所者は110名となり、邑久光明園の入所者は62名となっている。

中国地方弁護士会連合会は、国立ハンセン病療養所の保存・活用の方策を講ずるため、国に対して、下記の各事項を求める。

 

1  国は、国立ハンセン病療養所を、現在及び将来の世代の人権教育の場として一体的に保存し永続化するため、全国ハンセン病療養所入所者協議会や国立ハンセン病療養所所在地の地方公共団体等の関係者らとの迅速かつ緊密な協議を行うとともに、永続化に必要な法整備を含めた検討を早急に行うべきである。

2 国は、国立ハンセン病療養所に残る、歴史的建造物及び史跡の保存管理計画を早急に決定し、必要な保存措置を講ずべきである。

3 国は、国立ハンセン病療養所に残る公文書を含めた文書資料の保存活用について、速やかに具体的な方針を示すべきである。

 

以上のとおり決議する。

 

2022年(令和4年)10月7日

中国地方弁護士大会

 

第1 はじめに

 日本では、世界に例を見ないほど苛酷なハンセン病隔離政策が89年も続き、ハンセン病患者、回復者及びその家族の人々は筆舌に尽くしがたい苦難の人生を歩んできた。戦前だけではなく、日本国憲法が制定され、ハンセン病の特効薬であるプロミンが登場し治る時代になった後においても、公共の福祉の名の下に、国によるハンセン病隔離政策が継続し、私たち市民も、官民一体として推進された無らい県運動に加担することで、ハンセン病患者の人々を、私たちが住む地域から、国立ハンセン病療養所(以下「国立療養所」という。)に送り込んだ歴史がある。

 ハンセン病隔離政策の歴史及びそこから学んだことを現在及び将来の世代に語り継いでいくことは、同じ過ちを繰り返さず、全ての人々が差別されることのない共生社会を構築する上で極めて重要である。

 以下では、日本のハンセン病隔離政策の歴史について概観したうえで、国立療養所の永続化、人権侵害の歴史を示す国立療養所内の建造物・史跡及び公文書を含めた文書資料の保存及び活用のための適切かつ迅速な国の施策が強く求められることについて述べる。

 

第2 日本のハンセン病隔離政策について

1 日本は、1907年(明治40年)に癩予防ニ関スル件を制定するとともに、文明国の仲間入りを目指す日本にとっては、ハンセン病患者の存在は国辱であるとして、資力のない放浪する患者の隔離を開始した。

2 1930年代に入ると、日本のハンセン病対策は大きく転換することになり、民族浄化のスローガンのもと、すべての患者の隔離が強力に推し進められた。内務省が1930年(昭和5年)に発表した癩の根絶策は、新たに1万人を収容する施設を建て、10年後には全患者を隔離し、全患者隔離完了後10年で大部分の患者がいなくなるというものであった。この政策にともない、1931年(昭和6年)4月には、癩予防ニ関スル件が改正され、名称も癩予防法となった。同法の主な目的は、自宅療養患者の隔離を法的に認めることにあり、この法改正により、すべての患者隔離が進められ、癩予防法を実践面から支えたものの一つが国立療養所であった。1930年(昭和5年)11月20日には、岡山県瀬戸内市の長島に、最初の国立療養所長島愛生園が開設された。

 国立療養所では、患者は、患者作業という名の強制労働に従事させられ、また、所長に抵抗した者などは懲戒検束の名のもとに、国立療養所内に設けられた監禁室(監房)に入れられた。

 戦後、個人の尊重と国民の基本的人権を保障した日本国憲法が制定され、プロミンによりハンセン病が治る病気となったにもかかわらず、隔離政策の抜本的な転換は行われなかった。1953年(昭和28年)に癩予防法がらい予防法に改正されたが、隔離政策は継続された。ハンセン病隔離政策の法的根拠となったらい予防法が廃止されたのは、1996年(平成8年)のことであった。

3 日本のハンセン病隔離政策は、すべてのハンセン病と疑われた人々を、離島や僻地に設置した国立療養所に終生隔離して死に絶えるのを待つという政策であった。日本の隔離政策の特徴として、以下の3点があげられる。

第1に、国立療養所内で患者作業が強制されたこと

第2に、国立療養所内では断種・堕胎が展開されたこと

第3に、隔離収容を徹底するため、官民一体となった無らい県運動が全国的に展開されたこと

 国立療養所内では、かつて、あらゆる作業をハンセン病患者が担っており、知覚麻痺等の後遺症をもつ患者は、これらの強制労働により手足に傷を負い重篤な後遺症を生じさせる原因ともなった。また逃亡防止のために認められた国立療養所内での結婚には、断種が条件とされた。そして、無らい県運動は、戦前のみならず戦後にも行われ、ハンセン病患者に対する深刻な偏見・差別意識を広く国民に植え付ける結果となった。

 

第3 「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟判決及び判決後の国等の動き

1 1996年(平成8年)3月、らい予防法の廃止に関する法律が制定され、らい予防法は廃止されたものの、国の責任については曖昧なままであった。そのため1998年(平成10年)に、国立療養所入所者13名が原告となり、熊本地方裁判所へ「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提起され、翌年には東京地方裁判所及び岡山地方裁判所においても同様の訴訟が提起された。

 2001年(平成13年)5月11日、熊本地方裁判所は原告勝訴の判決を言い渡した(以下「2001年熊本地裁判決」という。)。同判決は、日本のハンセン病隔離政策によって、遅くとも1960年(昭和35年)には憲法違反の人権侵害があったことを認め、さらに1965年(昭和40年)までにらい予防法を廃止しなかった国会の立法不作為を憲法違反と断罪した。

 その後、2001年(平成13年)5月23日、小泉純一郎内閣総理大臣は控訴を断念し、2001年熊本地裁判決は確定した。同日、日本政府は、内閣総理大臣談話を発表し、初めて隔離政策の誤りを認めて謝罪した上で、隔離政策による被害回復のための特別立法の制定、真相究明のための検証作業の開始、当事者との協議の開始等を行うことを明らかにした。その後、衆参両院もそれぞれ謝罪決議を行った。

2 前記内閣総理大臣談話にもとづき、厚生労働省とハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会、同全国弁護団連絡会及び全国ハンセン病療養所入所者協議会(以下「全療協」という。)(以下、これらの3団体を総称して「統一交渉団」という。)との間で、年一回のハンセン病問題対策協議会(以下「協議会」という。)が行われるようになり、統一交渉団が協議会の開催に合わせて事前に統一要求書を厚生労働省に提出し、協議会でハンセン病問題の最終解決を目指した話合いが行われている。

3 協議会において、国立療養所内での入所者の医療・看護・介護に関する問題等とともに、喫緊の課題となっているのが、国立療養所の永続化、国立療養所内の歴史的建造物・史跡及び公文書を含めた文書資料の保存・管理の問題である。

 

第4 国立療養所の永続化について

1 国立療養所の永続化とは

 国立療養所の永続化とは、将来入所者がいなくなり、「療養所」としての役割を終えた後も、かつて国の誤った隔離政策により人権侵害が行われた場である国立療養所全体を一体的に保存していくことである。

2 全療協有識者会議による国立療養所の永続化に関する提言について

 2015年(平成27年)度の協議会において、厚生労働省が国立療養所施設(敷地及び史跡・歴史的建造物等を含む)の永続化に向けて取り組んでいくことが確認されており、その後の協議会でも国立療養所の永続化が重要であることが確認されている。

 2020年(令和2年)12月21日には、全療協からの諮問を受け、全療協有識者会議は、「国立ハンセン病療養所の永続化についての提言」をまとめた。

 同提言は、「療養所の永続化とは、入所者がいなくなった後も、療養所を全体として存続させていくという問題である。」とした上で、国立療養所の永続化が必要とされる理由として、「本来、入所者(及び退所者の再入所)のための施設である療養所を入所者がいなくなった後も存続させるのは、国による誤った隔離政策による人権侵害の歴史を後世に伝え、二度とこうした過ちを起こさせないために、広く人権を学ぶ場として今後も活用していく必要があるからである。」と述べている。

 その上で、同提言は、国立療養所の永続化における基本理念について、「国立療養所の永続化にあたっては、療養所に現に存在する個々の施設を保存するだけではなく、施設を全体として保存し、ハンセン病問題を中心として人権を学ぶ施設として活用する必要がある。」と述べている。また、「療養所には、納骨堂、歴史的建造物、資料館(社会交流会館)等の永続化を前提とした施設が存在しているが、これらを保存するための人員を配置するだけでは、人権を学ぶ場として活用することには限界があるというべきであり、療養所内で何が行われ、入所者がどのように人権を確立していったのかという歴史を学ぶためには、施設全体が保存される必要がある。」としている。

2 永続化に関する議論状況

 しかし、らい予防法廃止から26年が経過し、入所者の高齢化が進んだ現在においても、国は、国立療養所が「療養所」としての役割が終焉したときに、管理主体の問題を含め、どのような形で国立療養所を永続化させるのかについての方針を、いまだ明確にしていない。

3 ハワイ州カラウパパ療養所の例

 ハンセン病療養所を、法律に基づいて、国の歴史公園として保存している例として、日本における島嶼隔離のモデルとされた、米国ハワイ州モロカイ島のカラウパパ療養所がある。

 カラウパパ療養所は、ハワイモロカイ島中北部のカラウパパ半島にある。三方を海に囲まれ、残る一方を断崖で遮断されたこの地は、1866年から、約8,000人のハンセン病患者が隔離された場所であった。1969年(昭和44年)には、日本のらい予防法に相当するハンセン病の蔓延を予防する法律(1865年制定)が廃止されたが、その後もこの地に自らとどまることを選択した回復者とその支援者らを中心にした運動により、11年後の1980年(昭和55年)にカラウパパ国立歴史公園の設立に関する法律が制定され、この地は、カラウパパ国立歴史公園として指定されることになった。そして、それ以降現在まで米国内務省国立公園局とハワイ州保健局の共同管理により運営されている。

 カラウパパ療養所は、まもなく療養所としての役割は終焉を迎えることになるが、その後も、国立公園局により、国立歴史公園としてハンセン病隔離の歴史を伝え、現在及び将来の世代の教育のために保存されていくことが決定している。

4 小括

 日本の国立療養所の現状に鑑みると、国立療養所を現在及び将来の世代の人権教育の場として永続化するためには、国は、全療協や国立療養所所在地の地方公共団体等の関係者らとの迅速かつ緊密な協議を行うとともに、永続化のために必要な法整備(例えば、後述の「ハンセン病問題基本法」の改正等)を含めた検討を早急に行うことが求められている。

  

第5 国立療養所の歴史的建造物及び史跡の保存・活用について

1 ハンセン病問題に関する検証会議(以下「検証会議」という。)

(1)国は、前述した2001年(平成13年)の内閣総理大臣談話に基づき、翌年、「ハンセン病患者に対する隔離政策が、長期間に渡って続けられた原因、それによる人権侵害の実態について、医学的背景、社会的背景、ハンセン病療養所における処置、「らい予防法」などの法令等、多方面から科学的に検証を行い、再発防止の提言を行うなど、今後の疾病対策等に資すること」を目的とする検証会議を設置した。

 この検証会議は、全国13か所の国立療養所入所者のみならず、戦前の日本の植民地時代に作られた韓国の小鹿島(ソロクト)更生園や台湾楽生院などの海外の療養所に収容されていた入所者からの被害の聞き取り調査を含む、2年半に及ぶハンセン病事実検証調査事業を実施し、2005年(平成17年)3月1日、最終報告書を、厚生労働大臣に提出した。

(2)検証会議の最終報告書では、再発防止のための様々な提言がなされているが、後述の国立療養所等に残る歴史資料や歴史的建物等の保存・公開に関して、以下の提言がなされた。

 すなわち「ハンセン病患者・家族・回復者への差別と偏見は誤った国策によるものであるが、単に国だけの責任に帰することはできない。実際の隔離の実務を担当したのは、自治体であり、患者を地域から排除したのは国民であった。今後、このような人権侵害の再発を防止するためには、国の責任とともに、自治体の責任、国民の責任についても究明していかなければならない。そうした際、厚生労働省をはじめとする国の機関、自治体、ハンセン病療養所、ハンセン病療養所入所者自治会などに所蔵されている資料の活用は不可欠となる。国レベルから地域レベルまでを視野に入れた隔離政策の真相究明を進め、その成果を再発防止のための社会啓発に反映していくことが望まれる。誤った強制隔離政策を象徴するような施設等について歴史的保存を図り、公開に努めること等も再発防止という観点から見て重要な課題のひとつといえよう。」(最終報告書782~783ページ)との提言である。

2 ハンセン病問題の解決の促進に関する法律

 他方、全療協は、2004年(平成16年)11月に、シンポジウム「ハンセン病療養所の未来をつくる-社会とのきずなを求めて」を開催した。

 そのなかで、全療協の神美知宏事務局長は、入所者が減少しても、国立療養所を将来維持するための構想を実現するには、国立療養所を地域に開放し、地域住民等が利用できるようにすることが必要であり、そのためには入所者以外が国立療養所を利用することを許さない壁となっているらい予防法の廃止に関する法律(以下「廃止法」という。)を廃止し、新たな法律を作るべきであるとの考えを示した。

 これを受けて、新法制定のための全国的な署名活動が開始され、わずか9か月で約93万筆の署名が全国から集まり、2009年(平成21年)4月1日、ハンセン病問題の解決の促進に関する法律(以下「ハンセン病問題基本法」という。)が施行され、それに伴い廃止法は廃止となった。

 ハンセン病問題基本法は、2001年熊本地裁判決が認めた国の法的責任を踏まえ、誤った隔離政策による「被害の回復」という位置付けから、国立療養所の将来の問題に対する法律の障害を取り除くとともに、入所者の社会復帰・社会復帰した回復者らの社会生活の支援、偏見差別の解消などの現在も残る様々な問題を、国と地方公共団体が責任をもって解決することを定めた法律である。

 同法第18条は、「国は、ハンセン病の患者であった者等及びその家族の名誉の回復を図るため、国立のハンセン病資料館の設置、歴史的建造物の保存等ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発その他必要な措置を講ずる(以下略)」と規定されており、国立ハンセン病資料館の目的を、法律上明確にするとともに、歴史的建造物の保存等必要な措置を講ずることを国に義務付けている。

3 歴史的建造物の保存等検討会

 2012年(平成24年)、厚生労働省は、ハンセン病問題基本法第18条等を踏まえ、ハンセン病及びハンセン病対策の歴史に関する正しい知識の普及啓発等に資するため、歴史的建造物の保存等に関する基本的な考え方などの検討等を行う「歴史的建造物の保存等検討会」(以下「検討会」という。)を立ち上げた。検討会は、①歴史的建造物の保存等に関する基本的な考え方、②歴史的建造物等の諸調査の実施、③歴史的建造物等の保存、活用等に必要な基本的な計画を検討課題として、現在まで議論を続けてきた。

 そして、これまでの間、検討会や協議会において、国は、「歴史的建造物の保存に関する考え方の再整理」を示し、歴史的建造物の「保存に関しては、当事者の意見を踏まえながら、建造物の保存目的や活用方法等を考慮した適切な保存方法を決定していく必要がある」として、国立療養所入所者自治会から提出される保存リストを、検討会で検討した上で最終的な保存リストを確定し、本格的な保存を実施する、との方向性を示した。しかしながら、現在、国の本格的な保存に関する具体的な検討は進んでいない。

4 人権侵害を示す歴史的建造物について

 全国13の国立療養所には、隔離政策がいかなるものであったかを物語る貴重な歴史的建造物や史跡が残っており、国立療養所に入所した患者が最初に入った収容所(回春寮)や歴史館(旧事務本館)など、一部は国の有形登録文化財に指定されている。しかし、国の有形登録文化財に指定されているもの以外にも、長島愛生園には、入所者が家族や故郷から引き離され、国立療養所に降り立った収容桟橋、家族に会いたいがために国立療養所を抜け出した際に懲罰として収容された監房、亡くなってからも家族のもとに戻れなかった遺骨が納められている納骨堂、隔離政策を象徴する十坪住宅など多くの歴史的建造物や史跡が残されている。

 また、邑久光明園にも、旧裳掛小・中学校第三分校(光明学園)などの国の有形登録文化財に指定されているもののほか、2つの桟橋(患者桟橋と職員桟橋)、監禁室や少年少女舎などの歴史的建造物や史跡が残されている。

5 小括

 一部の国立療養所では歴史的建造物や史跡についての保存に向けた取組みがなされているが、国として、国立療養所に残る歴史的建造物・史跡の保存についての具体的な方針及びそれに基づく保存対象の決定がなされていないのが現状である。このままでは、時間の経過とともに、貴重な歴史的建造物や史跡は朽ちてしまいかねない。国立療養所全体の永続化を目指す中で、歴史的建造物の保存の必要性は高い。

 したがって、国には、全国13の国立療養所に残る歴史的建造物及び史跡の保存管理計画を早急に決定し、必要な保存措置を講ずることが求められる。

 

第6 国立療養所に残された文書の保存及び管理について

1 国立療養所に残されている公文書について

 国立療養所の中には、国立療養所が作成したカルテや事務記録、無らい県運動等に関する文書などの様々な公文書が収蔵されている。これらの公文書には、開園当時からの貴重な歴史資料が含まれており、以下で検討するとおり、それらの公文書の適切な保存管理及び将来の活用に向けた取組みが、重要な課題となっている。

2 ハンセン病資料館施設整備等検討懇談会

 2001年(平成13年)5月の内閣総理大臣談話および協議会の協議を踏まえて、2002年(平成14年)に厚生労働省が設置したハンセン病資料館施設整備等検討懇談会は、同年11月26日の第6回懇談会において、高松宮記念ハンセン病資料館の拡充を行うとともに、その他の各国立療養所についても、その実情に応じ、資料保存のための措置が講じられるべきであるとの中間報告に合意がなされた。

 その後、この中間報告に基づき、高松宮記念ハンセン病資料館は、2007年(平成19年)のリニューアルを経て、国立ハンセン病資料館に改称され、各国立療養所にも社会交流会館が順次設置された。

 3 国立療養所の文書資料の保管状況等

 国立療養所の中には、入所者個人が作成した日記や文書、入所者自治会が作成した自治会活動記録が収蔵されている。これらの文書以外に、国立療養所が作成したカルテや事務記録、無らい県運動等に関する文書などの公文書が収蔵されている。例えば、公文書の整理を精力的に進めている国立療養所菊池恵楓園には、公文書として、2022年(令和4年)6月現在、事務文書6,832件、入所者カルテ8,984件及び「患者身分台帳」5,675件が収蔵されている。入所者や自治会が作成した文書は入所者の生活などを知る上で重要であるが、隔離政策及び国立療養所の実態の把握には国立療養所が作成したカルテ等の公文書が必要である。

 2021年(令和3年)6月のNHK(岡山放送局)の報道によると、同局が2020年(令和2年)秋に、全国13の国立療養所を対象に実施した、ハンセン病問題の歴史が記された文書資料の保管状況についての調査により、解剖録やカルテなど入所者の解剖についての記録が8つの国立療養所で残されているほか、断種・堕胎などの優生政策に関する文書が4つの国立療養所に、患者作業に関する文書が4つの国立療養所に、また懲罰に関する文書が3つの国立療養所で残されていることが判明した。一方で、このような文書について、残されているか不明と回答した国立療養所も多く、文書の有無につき、全容が把握し切れていない現状も浮き彫りとなった。

4 公文書の管理をめぐる課題

 公文書の管理に関しては、2011年(平成23年)4月に施行された公文書等の管理に関する法律(以下「公文書管理法」という。)が存在する。同法第2条第4項では「「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)を含む。第19条を除き、以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」と定めている。

 そして同法は第5条第5項で「保存期間が満了したときの措置として、歴史公文書等に該当するものにあっては政令で定めるところにより国立公文書館等への移管の措置を、それ以外のものにあっては廃棄の措置をとる」とし、同法第8条第1項は、「行政機関の長は、保存期間が満了した行政文書ファイル等について、第5条第5項の規定による定めに基づき、国立公文書館等に移管し、又は廃棄しなければならない」としている。

 同法からすると、国立療養所が保存期間を満了した公文書を収蔵していることの根拠が明確ではない。したがって、国立療養所に収蔵されている公文書を、今後どのように取り扱うべきかの検討が必要である。

 しかしながら、国は国立療養所の公文書をどのように保管管理し、将来の活用のためにどのような施策をとるか等について明確な方針は示していない。そのため、開園当時からの貴重な歴史資料を含む公文書の適切な保存管理及び将来の活用に向けた取組みが、重要な課題となる。

5 公文書の保存に関する全療協の見解

 上記NHK(岡山放送局)の報道によると、同局が2021年(令和3年)5月に実施した、現在も活動を続けている全国11の国立療養所入所者自治会に対する公文書保存に関するアンケート結果によれば、すべての入所者自治会が、公文書を保存すべきであると回答している。また、入所者自治会は、保存すべき理由として、人権を無視した政策が行われてきたことを示す資料だから、入所者がいなくなったときに歴史を継承するため等と回答している。

 全療協も、各支部の入所者自治会の見解を踏まえ、2022年(令和4年)3月11日、第81回臨時支部長会議を開催し、各園が所蔵する公文書類の保管について、「全国のハンセン病療養所にはそれぞれに違う歴史があり、所蔵する各資料も画一的ではない。したがって各園の公文書類は施設の永続化と密接に結びついている。これらの資料から隔離の歴史のなかで、たくましく生きた入所者の生活ぶり等、訪れる人に正しく伝え、学ぶための拠点となる社会交流会館(歴史館)にとって重要な資料となり得る。単に文書保管の問題にとどまらない重要な資料であり、大切に保管しなければならない。なお、各園で保管することが本来のあり方であり、資料館建設の際に提供した文書類についても、各支部に返還の要求があれば全療協の要求に加える。支部と本部は問題意識を共有することとする。また、各園で保管する場合の法整備や保管に当たっての湿度、温度、防虫対策等必要な設備について予算要求を行うこと」を決定した。

 すなわち、全療協は、各国立療養所が所蔵する公文書類について、国立ハンセン病資料館に集約するのではなく、各国立療養所の社会交流会館(歴史館)等の施設において現地保存すること、及びそのために必要な予算措置を要求していくことを決議したのである。 

6 カラウパパ療養所における公文書保存・管理・活用の現状

 ハワイでは、療養所等に残された歴史資料等の管理・保存・公開の取組みがすでに行われている。ハワイ州におけるハンセン病隔離政策を裏付ける重要な公文書や写真等について、連邦政府の公文書館やハワイ州立公文書館等に保管され、地元の研究者等の研究のために利用され、ハワイ大学出版部などから多くの歴史研究書が刊行されている。  

 また、NPO法人オハナの会(2003年(平成15年)8月に、非営利法人として設立された団体であり、オハナの会の支持者には、カラウパパ療養所の入所者やその家族、州当局者、関心を持つ市民、カラウパパの将来と入所者に長年関心をもってきたその他の人々が含まれており、1866年からカラウパパ半島に追放された全ての個人の価値と尊厳を促進することを目的として活動している。なお、オハナとは家族という意味のハワイ語である。)は、カラウパパ療養所に隔離され亡くなった約8,000名の名前を刻んだ記念碑を建立する計画を進めるため、ハワイ州立公文書館等で保管・管理されているカラウパパ療養所に送られた約8,000名の膨大なデータベースを利用し、これらの人々のリストの編纂を進めている。 

  これらのリストは、カラウパパ療養所に隔離された約8,000名の人々を讃えるための記念碑の設立に役立つだけでなく、家族が、カラウパパにおいてほとんどあるいは全く知らなかった祖先の名前に容易にアクセスすることを可能にする恒常的データベースとなり、そのデータベースは、家族の絆の回復を助けるための最も重要な道具として役立つと考えられている。

 7 小括

 カラウパパ療養所の例からも分かるように、国立療養所に所蔵されている公文書を含めた文書資料は、入所者の家族や研究者だけではなく、地域住民の人権教育にも資するものである。そして、国立療養所にある社会交流会館(長島愛生園では歴史館、菊池恵楓園では歴史資料館との名称が付けられている。)に、国立療養所にある公文書を含め文書資料を収集・保存・管理・公開するための、アーカイブズ(歴史史料を整理して保管する資料所蔵機関)としての機能を持たせるためには、設備完備やアーキビスト(アーカイブズ機関でアーカイブズ資料を取り扱う専門職員のこと)の確保などが不可欠であり、また、社会交流会館を公文書管理法上どのように位置づけるかなどについても早急な検討が必要である。

 

第7 結語

 国が、自らの責任において、ハンセン病隔離政策と同じ過ちを繰り返さないための人権教育の場として活用するため、人権侵害の歴史を物語る国立療養所全体の永続化のための議論を進めなければならない。国立療養所が示す人権侵害の歴史は、隔離政策の中で生き抜いてきた入所者の歴史でもある。入所者の過ごした国立療養所に残る歴史的建造物や史跡は、国のハンセン病隔離政策の歴史を後世に伝えるために不可欠であり、また国立療養所に所蔵されている公文書を含めた文書資料は、国の誤ったハンセン病隔離政策の歴史だけではなく、国立療養所で生きた入所者一人一人の“人生”を現地で記録したものである。ハンセン病問題基本法第18条にある入所者の「名誉の回復を図るため」にも、歴史的建造物及び公文書を含めた文書資料の保存は欠かせない。

 入所者の平均年齢が87.6歳となった現在、歴史的建造物や文書資料の保存・管理を検討することは喫緊の重要な課題となっている。

 よって、当連合会は、国が、全療協、国立療養所所在地の地方公共団体その他関係機関と連携し、国立療養所を現在及び将来の世代の人権教育の場として永続化するために必要不可欠な管理運営主体の検討を含めた協議を迅速かつ緊密に実施し、永続化のための必要な法整備を含めた検討を迅速に行うこと、歴史的建造物や史跡の保存・活用及び国立療養所に残る公文書を含めた文書資料の確認や現地保存のために必要な施設設備の確保のための検討を早急に進めることを求める。   

   

 以上の理由から、本決議を提案するものである。

 

以上