中弁連の意見
今日、コンピュータ技術及び情報通信技術の急速な発展に伴い、市民・企業の諸活動は高度化・専門化が顕著であり、今後も一層、デジタル情報の生成・流通活動が加速していくことが予想される。このようなICT社会において、子どもの中には、インターネットへの必要十分なアクセス環境が保障されない者、あるいは学校裏サイト・誹謗中傷メール・わいせつサイトなどによる人権侵害の被害者となる者も生まれており、大きな社会問題となっている。
しかし一方で、教育における情報機器の活用は浸透し、インターネットが創作表現の場や交流の場・悩み相談の場になるなど、子どもの人格形成過程におけるICT社会の有用性もまた揺るぎのないものとなっており、我々は子ども達にICT社会の利益を最大限に保障し、その不利益から最大の努力をもって保護しなければならない責務を負っている。
よって、当連合会は、子どもがICT社会の利益を享受することができる立場は、大人や情報関連事業者の諸活動により反射的に生ずるものではなく、自らの人格形成のためにICT社会の利益を享受することのできる権利であることを確認するとともに、今後もこの権利を実効あるものとするために不断の努力を続けることを宣言し、以下の3原則を提唱する。
- 子どもは、等しく、インターネットにアクセスし、情報の流通過程に接続することができる。
- 子どもは、違法・有害な情報により傷つけられない。
- 子どもは、自らの意思により情報を発信し、受信することができ、意に反して自らに関する情報を流通させられない。
2008年(平成20年)10月10日
中国地方弁護士大会
提案理由
1 我が国のインターネット普及の状況
我が国のインターネット利用人口は2002年(平成14年)には約7000万人に達し、人口普及率で50%を超えた。快適にインターネットが利用できる高速通信(ブロードバンド)の利用が可能な世帯は2006年度(平成18年度)には全世帯の95%に達し、実際のブロードバンド利用者は4627万人(2007年(平成19年)3月)となっている。携帯電話・PHSの契約数は1億件を超え、うちインターネットに接続できる第3世代携帯電話(3G)の所持は約7000万人に達し、世界屈指のブロードバンド大国となった。我が国の市民・企業はこのようなインターネット・情報通信技術の急激な普及・発展により、それぞれのライフスタイルやビジネスモデルを変容させ、パソコンや携帯電話などのIT機器や情報技術を駆使した新たなコミュニケーション時代、すなわち「ICT社会」(インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー社会)へと突入している。
一方、小学生のインターネット利用率も70%に近づき、中学生以上では90%に達する。特に携帯電話を利用したインターネット接続はここ数年で著しい伸びをみせ、小学生では40%に近づき、中学生以上では70%を超える状況にある。
2 ICT社会が子どもに与える「光」
かつて、子どもは、自分の考えや意見、表現物を家族・友人・学校あるいは地域の枠を超えて発表する場をほとんど持たなかった。発表する場があったとしても、その多くは学校や地域活動を通じてのものであり、場合によっては選抜過程を経て与えられるものであった。また、家族・友人・学校・地域の知識や活動範囲を超えて何かを知る機会は乏しく、ほとんどの場合、マスメディアを通じて与えられる情報を受け入れるに過ぎず、知識や体験の獲得は人間関係や地理的条件に大きく依存した。ICT社会は地理的条件と時間・費用の制約を取り払い、人間関係の可能性を大きく広げた。言うまでもなく、インターネットは人類の知の集合体でもある。ICT社会の到来により、子どもはこの英知の海をwww(ワールドワイドウェブ)という道具を使って自由に渡り歩き、インデックス化され検索が可能となった様々な情報、宇宙や外国・歴史など実体験できないような情報あるいは過去から現在にわたり集積された専門的知識にすら自由に触れ、世界中の数え切れない情報の中から必要な情報を主体的に選択して自らの知識につなげることができるようになった。また、メールというモバイルでパーソナライズされた情報ツールを使い、家族や友人とのつながりを深めることも容易となった。今や、自宅にいながら世界中を旅し、世界中の人々と意見を交換し、世界中の色々な出来事、様々な考え方や意見を知ることができるようになり、また、時間と場所を選ばずコミュニケーションを深化させることが可能となった。
このようなICT社会の到来を見据え、国は、2001年(平成13年)の「e-japan戦略」により、教育現場におけるインターネット接続環境の整備、教育コンテンツの充実、情報モラル教育の充実、国内外の他校との交流、教員の研修などに着手し、続く2006年(平成18年)の「IT新改革戦略」では、教員用コンピュータの整備等学校のIT化の推進、教員のIT活用能力の一層の向上、優良な教育用コンテンツの整備、ITを活用した学習機会の提供及び情報モラルを含む子どもの情報活用能力の向上などさらなるICT環境整備や教員の情報活用指導力の充実を目標として掲げた。また、すべての教科で情報教育を行うことを掲げ、情報活用の実践力・情報の科学的な理解・情報社会に参画する態度の獲得を柱として各教育段階で発達段階に応じたICT教育の実践にも着手している。実際の教育現場でも教員がさまざまな資料をプレゼンテーション機器などを用いて授業を実践する取り組みだけでなく、子どもに資料の調査・収集をICT機器・インターネットを通じて行わせ、その整理・発表もまたICT機器を活用して実践する、あるいはホームページを通じて対外的に発表するといった取り組みが行われている。このような取り組み事例はネット上でも様々な機関が紹介しており、積極的な研究が進められている状況にある。
これからの情報はデジタルとして生成・創造され、そして国境を越えていく。表現力と創造性を駆使して表現していく場は多くがネットであり、表現物はデジタルコンテンツとなるであろう。子どもがICT社会に対応した表現力と創造性を獲得していくことは、今後の我が国の産業構造を変革させ、支えていく新たな分野を創出する可能性を示すものであるが、同時に、子どもは表現の場と知の獲得の機会を大きく拡大させ、その能力を開花させる無限の可能性を生み出すことになる。
3 ICT社会が子どもに与える「影」
しかし他方、「学校裏サイト」と言われるネット上の掲示板などにおいて、特定の子どもを狙った誹謗・中傷、個人情報の暴露がなされ、陰湿ないじめの温床となるなど、ICT社会が抱える「影」は極めて深刻化している。
学校裏サイトと呼ばれる学校非公式サイトは、文部科学省による調査では2008年(平成20年)1~3月時点でサイト・スレッド数にして3万8000件(2007年の全国の小・中・高等学校の総数は約3万9000校)に及んでいることが分かっている。2007年(平成19年)には神戸市内の男子高校生が同級生に無理矢理裸の下半身の写真を撮られてネットに載せられ、金品の要求も受けていたとして自殺した。2008年(平成20年)5月には裏サイトに「死ね」と書き込みされたことが原因で北九州市の高校1年の女子生徒が自殺している。
また、子ども自身がインターネット世界へのめりこむあまり外界との接触を断ってしまったり、現実世界との混同を生じさせてしまう例もある。佐世保では2004年(平成16年)6月「(ホームページの)掲示板に嫌なことを書かれたから」という動機で小学校6年生の女児が同級生を殺してしまう事件が発生した。
2008年(平成20年)に入ると硫化水素による自殺手法がネット上に広く流れ、4月には13日に岡山市の無職の19歳男性が、23日に横浜市で高校3年生の男子生徒が、同日に高知県香南市では中学3年生の女子生徒が自殺し、家族や周辺住民までをも巻き込む事件に発展している。また、練炭を利用した集団自殺のように自殺希望者のネットワークが構築され、子どもが巻き込まれる危険性が常につきまとっている。
近年、子どもの間では、制作の簡便さとコミュニケーションの広がりへの期待感から、プロフと呼ばれるネット上の自己紹介ページを作成することが流行しており、書き込みの内容をめぐって子ども同士の事件に発展したり、個人情報を自ら漏洩させてしまい、わいせつサイトへ接続してしまったり、あるいは援助交際の温床となるなどの問題が表面化している。2008年(平成20年)4月にはプロフの書き込みが原因で17歳の少年が中学3年生の男子生徒を金属バットで殴るという事件が、5月にはプロフで知り合った11歳の女児に性的行為をしたとして30歳の男が強姦容疑で逮捕される事件が報道されている。
さらに、子どもが、児童買春や児童ポルノの被害者になり、また、アダルトサイト等の有害情報に触れた少年が犯罪に巻き込まれる等の問題も深刻さを増している。
4 これからのICT社会と子ども
ICT技術の進展は社会・法体系にも変容を求めている。我が国におけるインターネットの利用はまず企業や行政による広告・告知から活発化したが、ブログや会員制コミュニティーサイトのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、動画投稿サイト等の出現により個人も極めて容易に情報発信を行うことができる時代が到来した。また、政府は2010年(平成22年)までにブロードバンド・ゼロ地域を解消することを目標に掲げ、あまねく国民がインターネットへアクセスできる社会を目指しており、今後は、企業・市民を問わずあらゆる主体が情報発信者たりうる地位を確立し、あらゆる情報がデジタル化され、ネット上のコンテンツ流通量は格段に増加することが見込まれる。
このような急激な変貌を遂げるICT社会の影から子どもを保護する方策として、国は2003年(平成15年)「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」(出会い系サイト規制法、2008年(平成20年)5月改正)を成立させて子どもの出会い系サイトの利用・被害に歯止めを掛けようとしている。また、2008年(平成20年)6月には「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」(有害サイト規制法)を成立させ、携帯電話やパソコンでのフィルタリングの実施を原則義務化した。また、教育現場では、子どもや保護者に対するネットへの接し方の教育や活用能力獲得のための情報リテラシー教育、ICT社会における倫理を教育する情報モラル教育が積極的に取り組まれている。
しかし、現実社会の規制を前提とする法体系は仮想社会をも含むICT社会の発展・拡大のスピードに遅れがちであり、技術による対処は常に技術的限界の壁にぶつかる。情報リテラシー教育・情報モラル教育も、教員や保護者が技術面での理解あるいはネット上で何が起きているのかの体験や理解に乏しい場合もあり、その重要性はいささかも揺るがないにしても、必ずしも十分な有効性・即効性を示しているとは言い難い状況にある。
そのような状況においてなお、我々大人は、ICT社会の有用性と可能性に着目し、新たな時代を担う子どもの知識と好奇心を広げ、表現力や創作力を高め、その人格形成を補助し、新たなコミュニケーションツールとしてICT社会の利益を最大限に享受させるべき責務と、違法・有害コンテンツをはじめとする互いを傷付けあうようなコミュニケーションの波から最大限の努力をもって保護する責務を負っていると言わなければならない。しかし、ICT社会が技術とともに絶え間なく変化し、その予測はわずか数年先であっても不可能と言わざるを得ない変革スピードを考えれば、子どもがICT社会の利益を最大限に享受しつつ、不利益を被ることのないように保障することがいかに困難であるかを痛感せざるを得ない。
そこで我々は、子どもがICT社会から享受すべきこれら利益が、ICT社会及びその基盤を構成する大人や行政、情報関連事業者の諸活動により反射的・恩恵的に生ずるものではなく、また、いたずらに大人の目線でのみ子どもの保護を語ることなく、子どもが自らの人格形成や能力獲得、そして活躍の場を広げていくために、我々大人に対して主張することのできる権利であることをこの場で確認し、その権利を確固たるものとするため、以下の3原則を提唱する。
(1) 子どもは、等しく、インターネットにアクセスし、情報の流通過程に接続することができる。
子どもは、その置かれている地理的条件、経済的条件その他の諸条件に左右されることなく、その能力及び発達段階に応じ、等しくインターネットにアクセスし、webの閲覧をはじめとする情報の収集・調査・発信を行うことができる。子どもは、これら活動に必要な教育を等しく受け、必要とされる通信能力を有する機器により行うことができる。
(2) 子どもは、違法・有害な情報により傷つけられない。
子どもは、その意思によるか否かを問わず、違法行為に直接関与あるいはこれを推奨・助長する情報及びその人格形成・自己実現過程にとって有害である情報を発信し、あるいは受信することにより、自らを傷つけあるいは他の子どもを傷つけない。有害であるとの判断は、その時々の社会通念により支持され、同時に、子どもの能力及び発達段階を充分に考慮した抑制的なものとされる。
(3) 子どもは、自らの意思により情報を発信し、受信することができ、意に反して自らの情報を流通させられない。
子どもは、自らの意思によって欲する情報をインターネット等の情報流通過程に置き、これを取得することができる。また、自己に有利あるいは有益であるか否かを問わず、その意思に反して、自らに関する情報を流通過程に置かれず、意図した流通過程の範疇外に流通させられない。
当連合会は、これからのICT社会を見据え、我々の想像を超える変革の中であっても、子どもがその能力を花開かせ、夢を持ち続けられるよう「ICT社会における子ども3原則」を提唱するとともに、司法を担う者として一層の研鑽を重ね、各弁護士会の人権擁護活動、子どもの権利保護活動あるいは個々の被害救済その他の社会活動を通じ、実効ある内容の実現・救済のため、不断の努力を続けていくことをここに宣言する。
以上