中弁連の意見

我々、中国地方の弁護士は、戦後70年が経過し平和憲法が最大の危機に直面している今、1950年(昭和25年)、ここ中国地方の広島で開催された第1回日本弁護士連合会定期総会に引き続いて行われた平和大会で、「日本国憲法は世界に率先して戦争を放棄した。われらはこの崇高な精神に徹底して、地上から戦争の害悪を根絶し、各個人が人種国籍を超越し自由平等で且つ欠乏と恐怖のない平和な世界の実現を期する。」との平和宣言を採択したことを、今一度全員で確認し、今後も、この平和宣言のもとで、平和と人権及び立憲主義を守る活動を継続し、平和憲法を守っていくことを、中国地方のここ島根(松江)において、あらためて決意する。

 

以上のとおり宣言する。

2015年(平成27年)10月9日

中国地方弁護士大会

 

提案理由

第1 侵略戦争と弁護士の対応

1 アジア・太平洋戦争などによる加害と被害

 わが国は、アジア・太平洋戦争とこれに先行する植民地支配により、アジア・太平洋地域をはじめとする諸国民に多大な惨禍と犠牲を与えた。満州事変から始まったこの戦争は、大東亜共栄圏の確立という目的のもと軍部の独走により、最終的にはアメリカなどとの戦争に突入するに至った。

 これらの戦争と植民地支配によって、わが国は、朝鮮や中国をはじめとするアジア・太平洋地域において、無差別攻撃、一般住民や捕虜に対する虐殺、生体実験等により多くの人命を奪い、さらには、性的虐待、強制連行、強制労働、財産の収奪、文化の抹殺、国際条約や慣習法等の国際人道法に違反する重大な人権侵害行為を行ってきた。

 他方、国内においても、治安維持法をはじめとする治安立法によって情報と思想を統制し、国民の人権を抑圧しつつ、国民を無謀な戦争に駆り立てていった。戦闘行為や飢餓によって多数の若い命を犠牲にし、敗戦が明らかになったにもかかわらず降伏の判断が遅れた結果、全国各地への無差別空襲、沖縄地上戦、広島、長崎への原爆投下を招き、女性や子どもを含む膨大な非戦闘員の命が奪われた。

 

2 戦時中の弁護士の対応

 わが国が侵略戦争に突き進む中、布施辰治のように、命と資格を賭けて、植民地支配や侵略戦争に反対し、そのため弁護士資格を剥奪され、治安維持法違反のため実刑判決を受けた弁護士や、花井卓蔵のように、この布施辰治のために大弁護団を組織する弁護士の姿もあった。しかし、弁護士自治もなく、治安立法下で思想や言論統制が行われている状況にあって、戦争の開始や拡大に弁護士が一体となって反対することはできず、逆に戦争遂行に協力する弁護士もいた。

 

第2 日本国憲法の制定と広島平和宣言

1 日本国憲法の原則

 先の大戦の真摯な反省から、1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法(以下「憲法」という)が施行された。憲法第9条によって、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を定め、徹底した「恒久平和主義」を採用した。さらに、戦前、国家によって国民の人権が侵害された歴史の反省から、個人の尊厳に立脚した「基本的人権の尊重」を憲法の中心に置いた。また、専制政治を排除するため、主権は天皇から国民に移され、「国民主権」の原則を打ち立てた。

 以上の憲法の基本三原則の根底に流れる思想は、最高法規たる憲法によって国家権力の行使を制限するという「立憲主義」思想であり、このことは、憲法前文が「この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法律及び詔勅を廃除する」と規定したことからも明らかである。

 

2 日本弁護士連合会と広島平和宣言

 この憲法のもと、1949年(昭和24年)、議員立法により弁護士法が制定され、日本弁護士連合会(以下「日弁連」という)が発足した。弁護士法第1条は、弁護士の使命を「基本的人権の擁護と社会正義の実現」と規定し、国家権力からの独立を保障するため「弁護士自治」を採用した。

 1950年(昭和25年)、日弁連は、原爆投下による壊滅的な被害から再生しようとしていた平和都市広島の地で、第1回定期総会を開催し、それに引き続いて行った平和大会で、「日本国憲法は世界に率先して戦争を放棄した。われらはこの崇高な精神に徹底して、地上から戦争の害悪を根絶し、各個人が人種国籍を超越し自由平等で且つ欠乏と恐怖のない平和な世界の実現を期する。」とする平和宣言(以下「広島平和宣言」という)を採択した。弁護士及び弁護士会が一体となって「平和と基本的人権」を守る活動を行うことを決意し、宣言したのである。

 

第3 憲法第9条と自衛権

1 自衛隊の誕生と合憲性

 1950年(昭和25年)、朝鮮戦争勃発を機に、アメリカの要求に従い、政府は、警察予備隊を設置した。アメリカ政府が対日政策を転換し、わが国の再軍備化が始まったのである。その後、警察予備隊は警察保安隊へと変わり、1954年(昭和29年)、日米相互防衛援助協定の締結に基づき「自衛隊」へと改組された。自衛隊の主たる任務は、「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛すること」とされ、防衛目的が正面から掲げられるようになり、装備も一層強化充実された。

 政府は、自衛権は国家の固有の権利として認められるもので、憲法第9条によっても否定されておらず、自衛権を行使するための必要最小限度の「実力」を保持することは憲法上許される、そして、自衛隊はその装備や規模からみても、自衛のための必要最小限度の「実力」にすぎないから、憲法第9条第2項の「戦力」に該当せず、憲法に反しないと説明してきた。

 

2 専守防衛

 しかし、自衛隊に対しては、発足当初から憲法第9条第2項の「戦力」に該当し憲法違反であると指摘されており、現在でも通説である。護憲派とよばれる革新政党や労働団体、市民団体等からは、自衛隊の装備や防衛費、活動の内容や範囲について厳しく制約すべきだとの要請があり、政府も、自衛隊の任務は「専守防衛」に徹し、その域を出ることはないと説明し、国民の理解を得るように努力してきた。

 その結果、長い時間をかけて、非核三原則、防衛費GNP1%枠の原則、武器輸出原則禁止、自衛隊の海外派遣の禁止等、防衛費の野放図な拡大や自衛隊の活動の範囲については政策的に抑制され、「専守防衛」に徹してきたのである。

 

3 自衛権の解釈(72年見解)

 ところで、自衛権という概念には、個別的自衛権と集団的自衛権があるとされている。国際連合憲章第51条は個別的自衛権とともに集団的自衛権を国家固有の権利と規定している。しかし、アメリカが提案した当初の案に集団的自衛権の文言はなかった。その後、米ソが対立関係になったことから、安全保障理事会の決議がなくても米州機構が共同軍事行動をとることができるようにするため、アメリカ主導のもとで集団的自衛権の文言が入れられたという経緯から、集団的自衛権は国家固有の権利といえないとする説もある

 いずれにしても、国連憲章第51条で、国家は集団的自衛権を有していると規定されていることから、わが国においても集団的自衛権を有しているのではないかが問われてきた。

 これに対する政府の公式見解は、1972年(昭和47年)10月14日に参議院決算委員会に政府が提出した資料(集団的自衛権と憲法の関係に関する政府資料)によれば、憲法上認められる自衛権の範囲は、必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるとし、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明言していた。(以下「72年見解」という)そして、72年見解は自衛権発動の要件として、

① わが国に対する急迫不正の侵害があること
② これを排除するために他の適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまること

とした。政府は、集団的自衛権は上記の①の要件を満たさないので認められず、集団的自衛権行使を可能にするためには、憲法改正が必要だと答弁していた。この政府見解(答弁)は、以後の歴代内閣でも踏襲されており、現行憲法第9条のもとで、集団的自衛権行使を可能だと解釈する内閣は、一つとして存在しなかったのである。

 

4 アメリカ政府の要請と集団的自衛権

(1)自衛隊の海外派遣(国際貢献)

 1990年(平成2年)、イラクのクウェート侵攻に伴ういわゆる「湾岸戦争」の際、わが国は、自衛隊の海外派遣は憲法第9条によって制限されているので、米軍を中心とした多国籍軍に参加しなかった。このわが国の対応に対して、政府は、「日本は金を出しても血を流さないのか」との国際的な批判を受けていると説明し、その後、国際協調主義を名目に、1992年(平成4年)に、自衛隊の海外派遣を認めるいわゆる「PKO法」(国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)が制定された。以降、1999年(平成11年)に「周辺事態法」(周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律)、2001年(平成13年)に「テロ対策特措法」(平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法)、2003年(平成15年)に「イラク特措法」(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)が成立し、自衛隊を海外へ派遣することが可能となった。以降、自衛隊は、国際貢献の名の下に、徐々にその活動範囲を海外に拡大することとなった。

(2)アメリカ政府の要請と集団的自衛権の議論(小泉内閣時代)

 アーミテージ(J.ブッシュ大統領当時国務副長官)ら超党派作成の2000年(平成12年)10月の対日報告書は、わが国の集団的自衛権禁止が「日米同盟協力の制約」になっていると指摘した。以後、アメリカ政府はわが国に対し、集団的自衛権行使禁止の解除を求めてきた。

 これに呼応するように、日本でも集団的自衛権行使禁止の見直し論が進行し、小泉政権下において議論が活発になった。しかし、当時小泉純一郎首相は、土井たか子社民党議員の質問に対し、「政府は、従来から、我が国が国際法上集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然であるが、憲法第9条のもとにおいて許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を越えるものであって、憲法上許されないと考えてきている。憲法は、我が国の法秩序の根幹であり、特に憲法第9条については過去50年余にわたる国会での議論の積み重ねがあるので、その解釈の変更については十分に慎重でなければならないと考える。他方、憲法に関する問題について、世の中の変化も踏まえつつ、幅広い議論が行われることは重要であり、集団的自衛権の問題について、様々な角度から研究してもいいのではないかと考えている」と、閣議決定を経て答弁した(2001年(平成13年)5月8日 国政の基本政策に関する質問に対する答弁書)。この小泉答弁は、上記の72年見解を踏襲する内容である。

 自衛隊を「軍隊」であると言い、自衛隊が行くところが「非戦闘地域」であると答弁した小泉首相も、集団的自衛権行使は現行憲法上許されないと答弁していたのである。

 

第4 集団的自衛権行使容認閣議決定に至る経緯

1 第二次安倍内閣の誕生

 2012年(平成24年)12月、自民党は第46回衆議院議員総選挙で大勝し、民主党から政権を奪取し、第二次安倍内閣が誕生した。第二次安倍内閣も、基本的には第一次内閣時代の「戦後レジームからの脱却」を目指し、「美しい日本を取り戻す」ことをスローガンに掲げた。同時に「積極的平和主義」を標榜し、憲法第9条を含む憲法改正にも意欲を示した。

 そして、安倍内閣は、第一次内閣時代に設置した「安保法制懇」(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)に対して、引き続き集団的自衛権の研究をさせ、内閣の憲法解釈の責任を負う「内閣法制局」の長官に、集団的自衛権行使容認論者であるとされる小松一郎氏を抜擢した。さらに、NHKの人事については、安倍首相の思想に近いと考えられる会長(籾井勝人氏)や委員を選任し、また、国家安全保障会議を設置し、特定秘密保護法も成立させた。

 

2 憲法第96条の改正断念

 ところで、第二次安倍内閣発足前、すなわち民主党政権下において、自民党は「憲法改正草案」を発表している(2012年(平成24年)4月)。起草委員会の委員長は中谷元現防衛大臣で、最高顧問は、麻生太郎現財務大臣、安倍晋三現首相、福田康夫元首相、森喜朗元首相である。改正草案の第9条は大幅に変更され、自衛隊を明確に「国防軍」と規定するとともに、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」もできると規定し、集団的自衛権行使を容認する内容となっている。

 安倍内閣は、第二次安倍内閣発足後、前記の自民党憲法改正草案に沿った憲法改正に意欲を示し、まず、憲法改正規定である憲法第96条の改正を検討し始めた。憲法改正発議要件を緩和して、国会において憲法改正の発議をしやすくするためである。

 ところが、この憲法第96条改正の動きに対しては、改憲論者の憲法学者小林節教授(慶応大学)から、「96条の改正は裏口入学だ。憲法の破壊だ」と指摘されるなど多くの憲法学者から批判を受け、また、国民的な理解を得られなかったこともあって、結局、安倍内閣は、憲法第96条の先行改憲を断念した。

 

3 第9条の憲法解釈の変更(集団的自衛権行使容認の閣議決定)

(1)安保法制懇の報告と閣議決定

 安倍内閣は、2014年(平成26年)5月14日に、安保法制懇の「今までの政府見解は狭すぎて、憲法が禁止していないことまで自制している。集団的自衛権の行使は憲法上容認されている。国連の集団安全保障への参加は国の責務だ」とする報告を受けるや、2014年(平成26年)7月1日、現行憲法第9条のもとでも集団的自衛権行使を可能とする閣議決定を行なった。これまでの歴代内閣が、一貫して現行憲法第9条のもとでは集団的自衛権を行使することが出来ないとしていた憲法解釈を、一内閣の閣議決定のみで変更したのである。

(2)新三要件

 安倍内閣は、この閣議決定で、72年見解に示された自衛権行使の要件を次の通り変更した。

① 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

 

4 合憲性の説明(砂川事件最高裁判決)と反論

 安倍内閣は、集団的自衛権行使は現行憲法第9条のもとでも許されており、憲法に反しないと主張している。その根拠は、1959年(昭和34年)12月16日の砂川事件最高裁判決であるという。すなわち、判決が、憲法第9条について「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく」として、個別的自衛権か集団的自衛権かの区別をすることなく「固有の自衛権」を認めているから、集団的自衛権も否定していないというのである。

 しかし、安倍内閣の合憲性の説明は極めて奇異であり、法律家集団として到底認めることができない。すなわち、第一に、そもそも砂川事件は、日米安保条約に基づく駐留米軍が憲法第9条に反するか否かが問われた裁判であり、わが国の自衛権の内容が問われたものではない。したがって、判示の「自衛権」を認めた部分についても、裁判所が集団的自衛権を念頭に言及したとは認められない。第二に、砂川事件最高裁判決から13年後の政府の「72年見解」時において、政府は集団的自衛権は憲法第9条のもとで認められていないと明言している。仮に、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を認めている判例だというのであれば、72年見解を発表するときに、砂川事件最高裁判決を引き合いに出して、憲法上も集団的自衛権は否定されていないと説明したはずである。にもかかわらず、砂川事件最高裁判決を引き合いに出していないのは、もともと誰一人として砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を認めたと評価しなかったからである。

 さらに、砂川事件最高裁判決にはその成立の正当性に疑問がある。

 砂川事件は、1959年(昭和34年)3月に第一審判決が下されている。憲法を学んだ者なら誰でも知っている「伊達判決」である。「伊達判決」は、駐留米軍が「日本国憲法第9条第2項前段によって禁止されている陸海空軍その他の戦力の保持に該当する」と判示した。

 翌年の1960年(昭和35年)に安保条約の改定を控えていた政府(検察官)は、「伊達判決」に対して、異例の跳躍上告をした。日米安保条約改定に間に合わすための跳躍上告である。

 なお、後年、秘密指定を解除された米国公文書から明らかになったことであるが、伊達判決の翌日、マッカーサー米駐日大使が藤山愛一郎外相に会い、最高裁に跳躍上告をすることを示唆し、さらに、田中耕太郎最高裁長官はウィリアム・レンハート米駐日首席公使に会って、以下のことを述べた。

① 判決は12月であろうと考えていること
② 争点を法律問題に限定する決意であること
③ 口頭弁論は9月初旬から3週間で終えることができると確信していること
④ 裁判官全員一致の判決をめざし、世論を混乱させる少数意見は避けるやり方で進めることを願っていること

 このような経緯でなされた砂川事件最高裁判決は、はたして司法権の独立が維持されていたのか甚だ疑問であり、そもそもその正当性・先例としての意味があるか否かにも極めて強い疑問を抱かざるを得ない。また、現在、再審請求もなされている。

 

第5 平和安全法制の審議と採決

1 新ガイドラインの先行合意

 2014年(平成26年)12月、衆議院議員総選挙で大勝後、第三次安倍内閣が組閣された。その後、安倍内閣は、集団的自衛権行使容認の閣議決定を具体化する法案を国会に提案するに先立ち、2015年(平成27年)4月27日、アメリカ政府との間で、新たな日米防衛協力のための指針(以下「新ガイドライン」という)を合意した。この新ガイドラインは、前記の集団的自衛権行使容認の閣議決定を受け、1997年(平成9年)のガイドラインを改定したものである。さらに、未だ法案を国会に提案していないにもかかわらず、安倍首相は、訪米中、アメリカ議会で演説し、新ガイドラインに沿った安全保障関連法を2015年(平成27年)夏までには成立させると約束した。

 

2 法案の上程

 2015年(平成27年)5月15日、安倍内閣は、自衛隊の海外派兵恒久法として「国際平和支援法(案)」(国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(案))、「武力攻撃事態法」(武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律)の改正案、「重要影響事態法(案)」(重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(案))、自衛隊法改正案、PKO法改正案等を含めた10法案の合計11法案を、総称して「平和安全法制」と命名し、第189回通常国会に上程した。

 「国際平和支援法」は、「世界の平和と安全」に関する恒久法であるとし、国際社会の平和と安全を目的と称して、戦争している他国軍の後方支援を自衛隊が行うことを可能とするものである。これまで、その都度特別措置法(時限法)を制定して、自衛隊を海外派遣していたが、この法案が成立すれば、国会の事前承認さえあればいつでも自衛隊を海外へ派遣することが可能となる。

 その余の10法案は、「我が国の平和と安全」に関するものと称されている。例えば、武力攻撃事態法を改正して、集団的自衛権行使の要件として「存立危機事態」を新設し、我が国が直接武力攻撃を受けていなくても、我が国と密接な関係のある他国が武力攻撃され、我が国の存立が脅かされる明白な危険がある事態で、他に適当な手段がない場合に、自衛隊が武力行使をできるようにし、また、従来の周辺事態法を「重要影響事態法」に変更し、「日本周辺」という地理的制限をなくし世界中に自衛隊を派遣できるようにし、後方支援の対象を米国以外の外国の軍隊に拡大するなどの内容となっている。

 

3 審理の状況

 衆議院での審理の過程では、中谷防衛大臣と安倍首相の答弁が矛盾したり、中谷防衛大臣が「憲法を法律に沿うよう解釈すべきだ」と立憲主義に反する答弁をするなど、誠実に審理をしようとする態度がみられなかった。また、2015年(平成27年)6月4日に行われた憲法審査会に参考人として出席した与党推薦を含む3人の憲法学者全員が、「平和安全法制案は違憲である」と公述したことに対して、政府や与党幹部は、「憲法学者が日本の平和と安全を守ってきたのではない」(高村正彦副総裁)とか「合憲と考えている憲法学者もたくさんいる」(菅義偉官房長官)と言った不合理な反論をし、後日、9割以上の憲法学者が違憲と考えているとの報道がなされたことに対しては、「違憲と考えている憲法学者の数が問題ではない」(菅義偉官房長官)といった開き直りともとれる発言を繰り返すなど、法案の中身の審議は深化しなかった。

 

4 強行採決

 安倍内閣は、アメリカ政府との約束通り、今国会で「平和安全法制」を成立させるため、国会の会期を95日間延長することを決めた。異例の延長期間である。仮に参議院に送付され、60日以内に参議院で採決されなかった場合には、衆議院で再可決をすれば法案を成立させることができる「60日ルール」を念頭に置いた会期延長期間である。そして、その「60日ルール」を適用する余地を残すため、2015年(平成27年)7月16日に、衆議院本会議における審議を打ち切って採決することとし、自民・公明などの賛成多数で、平和安全法制案は衆議院で可決された。

 しかし、法案審議が参議院に移ってからも、むしろ国民の反対の声は一層大きくなり、国会議事堂周辺をはじめ全国津々浦々で集会やパレードが行われ、参加者の年齢層も、高校生からお年寄りまで広がっていった。

 さらに、統合幕僚監部が法案成立を先取りした研究を行っていたことや、兵站活動の範囲につき法文上は通常兵器はもとより核兵器の運搬も可能であるなど法案自体に欠陥があることなど、法案の問題点はより一層明らかになった。

 慎重な審議が必要であるとする圧倒的多数の国民の声を聞こうとせず、違憲とする大多数の憲法学者や法律家の見解にも耳を貸すことなく、さらに中央公聴会、地方公聴会を開いたにもかかわらず、地方公聴会終了と同時に審議を打ち切り、統括質問もないまま、特別委員会で採決を強行し、続いて本会議でも強行採決したことは、専制政治以外の何物でもなく、憲政史上最大の汚点となった。

 

第6 日弁連の基本的姿勢と取り組み

1 広島平和宣言以降第二次安倍内閣誕生まで(1950年(昭和25年)~2012年(平成24年))

 日弁連は、先に述べた1950年(昭和25年)の広島平和宣言の後も、「平和と人権」を守る様々な活動を重ねてきた。1950年(昭和25年)から第二次安倍内閣が誕生する2012年(平成24年)12月までに、人権擁護大会で採択された憲法第9条、平和主義に関する宣言は、資料1のとおりである。この62年間で7つの宣言を出している。2005年(平成17年)以降は、具体的な改憲論に対して、憲法の基本原則及び立憲主義を変容させることは認めないとの強い意思を表示している。

 

2 第二次安倍内閣誕生後今日まで(2012年(平成24年)12月以降~今日まで)

 第二次安倍内閣が誕生した2012年(平成24年)12月以降の定期総会及び人権大会での憲法第9条、平和主義に関する決議・宣言は、資料2のとおりである。際立ってその数が増え、この3年半あまりで意見書や理事会決議を含めると、7つの決議・宣言等を出している。かつ、人権擁護大会だけではなく、日弁連の最高意思決定機関である定期総会において、宣言や決議が毎年のように出されるようになった。それだけ、現憲法が危機的状況に陥っているということの証左である。第二次安倍内閣による憲法改正の危機が現実的様相を帯び、かつ、第9条の憲法解釈の変更もなされた今日、日弁連としては、憲法の基本原理や立憲主義を守るため、具体的に行動することを提起しなければならない状況にあるのである。

 そして、弁護士の原点である「平和と人権及び立憲主義」を堅持するため、2015年(平成27年)5月29日の定期総会において、「安保法制に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための行動を国民と共に起こす」との宣言(以下「定期総会宣言」という)を、圧倒的多数で承認し、日弁連会員全員が一丸となって立ち上がることを決意したのである。

 

3 弁護士会の取り組み状況

 日弁連及び各弁護士会は、「定期総会宣言」に基づき、以降、集団的自衛権行使容認の閣議決定を前提とする安保法制反対運動に積極的に取り組んでいる。弁護士会主催の講演会、学習会を各地で開催し、集団的自衛権行使と第9条の関係、合憲か否か、立憲主義との関係、安保法制の具体的問題点等、国民に対し啓発活動を行った。

 また、弁護士会主催で6月から9月にかけて集団的自衛権・安保法制反対集会・パレードを各地で実施したところ、数百・数千人の規模で、同調する国民が党派を超えて結集した。このような規模の集会やパレード(デモ)が弁護士会主導で行われたのは、日弁連史上なかったことであり、日弁連や各地の弁護士会に対する国民の期待が窺がえる。実際、特定政党からだけの呼び掛けでは、なかなか国民も反対集会やパレードには参加しにくいが、弁護士会が主導してやってくれたから、党派を超えて一堂に結集できたとの感想や評価の声が弁護士会に届けられている。

 

第7 治安立法について

1 国内政治情勢と権利の抑制

 戦後一貫して専守防衛に徹してきた防衛政策を転換して、アメリカと共同して海外で軍事行動しようとするためには、国民の「理解と合意」が必要である。

 この場合、国家権力がとるべき政治的手法は、国民に対しその必要性を十分に説明し、憲法改正等の民主的手続きにのっとって基本方針を転換することである。

 残念ながら、閣議決定による憲法解釈の変更や新ガイドラインの先行合意、安全保障法制案の強行採決等をみる限り、安倍政権に国民に対して十分説明し、民主的議論による合意形成をはかろうとする姿勢を見て取ることは困難である。

 安倍政権になってから、報道機関に対する政権与党からの露骨な干渉行為が頻発している。また、国家権力にとって一番厄介な批判者は知識人であることから、大学に対して国旗掲揚・国家斉唱を要求するなど、大学の自治にまで介入しようとしている。このような状況は、戦前の治安立法のもとで、思想・言論・報道・学問の自由を制約し、戦争に突き進んで行った状況と似ているとも言われる。

 そのような観点から、以下の三法については、特に注意を払う必要がある。

 

2 特定秘密の保護に関する法律(特定秘密保護法)

 特定秘密保護法は、2013年(平成25年)12月に成立し、翌年12月に施行されている。国家にとって重要な情報を秘密指定して、それを漏洩した国家公務員、漏洩を促した報道機関関係者らを処罰の対象とする法律である。これにより、国家の情報は公開されにくくなり、国民は政治を判断する材料・情報を入手することが困難となる。すなわち、この法律により、国家の国民に対する情報コントロールが可能となる。特に外交・防衛に関する情報は秘密にされやすく、したがって、特定秘密保護法は、安全保障関連法律であるといっても過言でない。同法の廃止に向けた粘り強い運動を継続すべきである。

 

3 共謀罪

 これは、テロ対策を念頭においた組織的暴力的犯罪団体を対象としたものといわれている。実行行為を伴わなくても、共謀・謀議しただけで処罰されるというもので、近い将来、立法化が狙われている。しかし、その対象となる犯罪数は600にも及び、対象となる団体の定義も不明確で、「共謀・謀議」という構成要件もあいまいなので、恣意的に運用される危険がある。「共謀・謀議」の証拠収集の手法如何によっては、戦前の治安立法と同じ機能を果たし得る法律である。この法律は、話し合ったり、情報交換したり、会合をもつこと自体を犯罪視することにより、身柄拘束や処罰に対する恐れから、自由な集会や結社、言論を萎縮させる可能性があり、国家権力による国民監視、思想統制に利用される危険がある。したがって、共謀罪の創設には断固反対すべきである。

4 犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(通信傍受法)の範囲拡大

 現在の通信傍受法はその対象となる犯罪も限定され、通信を傍受する場合に第三者の立会いが求められている。しかし、前記の共謀罪が成立すると、共謀・謀議の証拠収集のためには、電話やメール等の通信を傍受するのが効果的ということになり、そのため、傍受の対象となる犯罪が拡大されることが容易に予想される。また、第三者の立会いも不要となれば、いつでも国家権力側は国民の通信を自由に監視できることになる。その結果、国家による国民監視社会が形成される危険がある。したがって、通信傍受法が安易に運用されることのないよう注視しなければならない。また、対象となる犯罪の拡大に反対するものである。

 

5 三法に対する評価

 以上の通り、上記三法は、その運用如何によっては、戦前の治安立法が果たした役割を担えるような法律であり、国民統制、国民監視体制に使われる危険がある。国民の国家に対する批判を封じ込め、戦争が出来る国作りのための環境を整備する法律で、集団的自衛権行使を具体化する安全保障法制を裏から支える法体系になる危険があるものと考えるべきである。今後、その廃止や立法化阻止、あるいは改正反対の運動を展開する場合は、かかる観点からの検討をすべきである。

 

第8 まとめ

 

 戦後70年が経過し、憲法の制定から68年が経過した今、これまで、我々が直面したことがないほど、憲法が危機的な状況に陥っていることは明白である。憲法学者の9割以上が違憲と言っている法案を、合憲だと言ってはばからない国家権力に対して、今、法律専門家としての弁護士及びその団体である弁護士会が何をすべきか、真剣に問われている。立憲主義思想に基づき、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を基本三原則とする憲法を放棄するか否かの決断を迫られていると言っても過言でない。

 ここで、忘れてはならないのは、我々弁護士及び弁護士会は、この憲法のもとで制定された弁護士法に基づいて、「基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命」とすることを国民から付託され、かつ、1950年(昭和25年)に広島で開催された平和大会において我々弁護士の原点として平和宣言を行ったことである。

 すなわち、強制加入団体である弁護士会が、個々の弁護士の政治信条を超えて、憲法の基本原則、とりわけ平和と人権を守る活動をしなければならないのは、我々に課せられた使命であると同時に、国民から付託された責務である。そして「戦争は人権の最大の敵であり、人権は平和の中でしか守ることはできない。したがって、弁護士及び弁護士会は人権を守るために、平和を危うくするような動きに、戦争の危険性を高めるような動きに対しては反対しなければならない。」(2014年(平成26年)10月8日、日比谷野外音楽堂大集会での村越進日弁連会長挨拶より)

 したがって、今一度、広島の地で誓った平和と人権への思いを、中国地方の弁護士及び中国地方弁護士会連合会が再確認し、今後も、「広島平和宣言」を承継して、平和と人権及び立憲主義を守る闘いをすることを決意することは、極めて意義深いことである。

以上

 

資料1

(1)1983年(昭和58年)10月29日 第26回人権擁護大会(金沢)

「平和と人権に関する宣言」

ここでは、「平和は、人間の生存とすべての人権の前提であるとともに、人権の尊重なくして真の平和はありえない。」「我々は、世界人権宣言35周年にあたり、基本的人権の尊重が平和の基礎であることを確認して、平和擁護のための活動を強化し、(中略)我々に課された社会的責務の達成に邁進する」と、宣言した。

 

(2)1993年(平成5年)10月29日 第36回人権擁護大会(京都)

「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」

 ここでは、「先の戦争において、日本はアジア・太平洋地域に深刻な被害をもたらした。このなかには、住民虐殺・生体実験・性的虐待・強制連行・強制労働・財産の収奪・文化の抹殺等、重大な人権侵害にあたるものが数多く存在する。(中略)国は、速やかに被害実態の把握と責任の所在の明確化など真相の究明を徹底して行い、これらの被害者に対する適切・可能な被害回復措置のあり方につき早急に検討をはじめる必要がある。同時に、この戦争の真相を正しく後世に伝える教育を行うべきである。基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする我々も、その実現のため全力を尽くす」と、宣言した。

 

(3)1995年(平成7年)10月20日 第38回人権擁護大会(高知)

「戦後50年・平和と人権に関する宣言」

 戦後50年を迎えるにあたって、「わが国は、先の戦争とこれに先行する植民地支配により、アジア・太平洋地域をはじめ内外に住民虐殺・生体実験(中略)等国際人道法に違反する重大な人権侵害行為を含む、多大な惨禍と犠牲を与えた。戦後、わが国は、(中略)、平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を原理とする憲法を制定した。(中略)、われわれは戦後、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命として、憲法のもとで弁護士自治を保障した弁護士法に基づいて、平和と人権に関する問題に取り組んできたが、戦時下の弁護士会を含む司法についての調査、研究は十分とはいい得ない。われわれは、戦時下の司法についての調査、研究を重ね、その成果を生かして、国民のための司法の確立のために努める。戦後50年にあたり、われわれは改めて、基本的人権の擁護と平和のために全力を尽くすことを誓う」と、宣言した。

 

(4)1997年(平成9年)10月23日 第40回人権擁護大会(下関)

「憲法施行50年記念・国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現を求める宣言」

 「日本国憲法は、先の戦争の惨禍を教訓として、国民主権、恒久平和、基本的人権の尊重などを基本原則として定め、国民の国民による国民のための政治により、個人が人間として尊重され、平和のうちに安全に生きる権利を保障している。(中略)しかし、基地被害をはじめとする沖縄問題、(中略)などに対する施策が端的に示しているように、民意が必ずしも国政に反映されず、憲法の基本原理は未だ十分に実現されるには至っていない。当連合会は、一人ひとりが人間として尊重され、平和のうちに安全に生きる権利を実現することが、緊急にして最優先課題であることを強く訴える。(中略)われわれは、憲法施行50年にあたり、多くの人々とともに、国民主権の確立と平和のうちに安全に生きる権利の実現をはじめとする憲法の基本原理の実現と定着のために、全力を尽くす」と、宣言した。

 

(5)2005年(平成17年)11月11日 第48回人権擁護大会(鳥取)

「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」

この宣言は、ここ数年、政党・新聞社・財界から憲法改正に向けた動きの中で、日弁連が改憲議論を検討した結果、以下の3点を確認した。

① 憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法法規として国家権力を制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基礎として成立すべきこと。
② 憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理とすべきこと。
③ 憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと。

 その上で、「日本国憲法第9条の戦争を放棄し、戦力を保持しないという徹底した恒久平和主義は、平和への指針とし世界に誇りうる先駆的意義を有するものである。改憲論議の中には、憲法を権力制限規範にとどめず国民の行動規範としようとするもの、憲法改正の発議要件緩和や国民投票を不要とするもの、国民の責任や義務の自覚あるいは公益や秩序への協力を憲法に明記し強調しようとするもの、集団的自衛権の行使を認めた上でその範囲を拡大しようとするもの、軍事裁判所の設置を求めるものなどがあり、これらは、日本国憲法の理念や基本原理を後退させることにつながると危惧せざるを得ない。

 当連合会は、憲法改正をめぐる論議において、立憲主義の理念が堅持され、国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義など日本国憲法の基本原則が尊重されることを求めるものであり、21世紀を、日本国憲法前文が謳う「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」が保障される輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して人権擁護の諸活動に取り組む決意である。」と、宣言した。

 

(6)2008年(平成20年)10月3日 第51回人権擁護大会(富山)

「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」

 第一次安倍内閣のもとで、憲法改正手続に関する国民投票法が成立し、2010年(平成22年)から憲法改正の発議が可能となり、憲法改正が現実味を帯びてきたことを契機に、平和的生存権と憲法第9条の今日的意義を確認した宣言である。

① 平和的生存権は、すべての基本的人権保障の基礎となる人権であり、(中略)具体的規範とされるべき重要性を有すること
② 憲法9条は、一切の戦争と武力の行使・武力による威嚇を放棄し、他国に先駆けて戦力の不保持、交戦権の否認を規定し、国際社会の中で積極的に軍縮・軍備撤廃を推進することを憲法上の責務としてわが国に課したこと
③ 憲法9条は、現実政治との間で深刻な緊張関係を強いられながらも、自衛隊の組織・装備・活動等に対し大きな制約を及ぼし、海外における武力行使および集団的自衛権行使を禁止するなど、憲法規範として有効に機能していること

を確認した。

 そして、「憲法は、個人の尊厳と恒久の平和を実現するという崇高な目標を掲げ、その実現のための不可欠な前提として平和的生存権を宣言し、具体的な方策として憲法9条を定めている。当連合会は、平和的生存権および憲法9条の意義について広く国内外の市民の共通の理解が得られるよう努力するとともに、憲法改正の是非を判断するための必要かつ的確な情報を引き続き提供しつつ、責任ある提言を行い、21世紀を輝かしい人権の世紀とするため、世界の人々と協調して基本的人権の擁護と世界平和の実現に向けて取り組むことを決意するものである。」と、宣言した。

 

(7)2010年(平成22年)10月8日 第53回人権擁護大会(盛岡)

「今こそ核兵器の廃絶を求める宣言」

 この宣言では、「われわれは、日本政府に対し、「非核三原則」を法制化すること、北東アジアを非核地域とするための努力をすること、さらに、わが国が先頭に立って核兵器禁止条約の締結を世界に呼びかけることを求めるものである。当連合会は、(中略)法律家団体として、非核三原則を堅持するための法案を提案し、広く国民的議論を呼びかけるなど、今後ともたゆむことなく努力することを決意し、宣言」した。

 

資料2

(1)2013年(平成25年)5月31日 第64回定期総会決議(東京)

 第二次安倍内閣が発足し、従来の憲法解釈を変更して集団的自衛権行使容認の方針を打ち出したことに対し、日弁連は、定期総会において、「自国が直接攻撃されていない場合には集団的自衛権の行使は許されないとする確立した政府解釈は、憲法尊重擁護義務(憲法第99条)を課されている国務大臣や国会議員によってみだりに変更されるべきではない。また、下位にある法律によって憲法の解釈を変更することは、憲法に違反する法律や政府の行為を無効とし(憲法第98条)、政府や国会が憲法に制約されるという立憲主義に反するものであって、到底許されない。(中略)よって、当連合会は、憲法の定める恒久平和主義・平和的生存権の今日的意義を確認するとともに、集団的自衛権の行使に関する確立した解釈の変更、あるいは集団的自衛権の行使を容認しようとする国家安全保障基本法案の立法に、強く反対する。」との決議を、圧倒的多数の賛成で承認した。

 

(2)2013年(平成25年)10月4日 第56回人権擁護大会(広島)

「立憲主義の見地から憲法改正発議要件の緩和に反対する決議」

 安倍内閣が憲法第9条に先だって憲法96条の改正要件を緩和する憲法改正案を提案、検討したことに対し、日弁連は、「そもそも国家権力の濫用を防止して基本的人権の侵害を防ぐためには、憲法の基本原理が時々の国家権力によってみだりに変えられないという保障が必要となる。憲法改正発議要件の緩和は、国民の代表である国会での熟議による合意形成の機会を奪い、時々の国家権力による恣意的な憲法改正に道を開き、立憲主義の土台を揺るがすおそれがある。しかも、この度の改正提案は、まず改正要件を緩和して憲法改正のハードルを下げ、その後に憲法第9条をはじめ、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義という基本原理の改正をも予定しているものであって、このような基本原理の改正につながる発議要件の緩和は到底容認しえないものである。(中略)当連合会は、憲法改正発議要件の緩和が立憲主義を根底から覆すおそれがあることを深く憂慮し、憲法第96条の改正案に強く反対する。」と、決議した。

 その後、憲法第96条の先行改正については、国民の理解が得られず、安倍内閣は断念した。

 

(3)2013年(平成25年)10月4日 第56回人権擁護大会(広島)

「恒久平和主義、基本的人権の尊重を確認し、「国防軍」の創設に反対する決議」

 前年に出された自民党の憲法改正草案、特に憲法第9条や平和的生存権に関し、「近時公表されている憲法改正草案の中では、平和的生存権を前文から削除し、「戦争の放棄」の章題を変更した上、戦力の不保持・交戦権の否認を定める憲法第9条第2項を削除して、国際的軍事協力も任務とする「国防軍」等(以下「『国防軍』」という。)を保有する規定を設けるとするものがある。このような「国防軍」は、日本の国土防衛の枠を超えて、これまで、政府見解でも憲法上禁じられてきた集団的自衛権の行使を容認し、海外での権益を守るなどの名のもとでの軍事力の行使や、国際平和協力活動の名のもとでの海外での軍事活動に道を開くものとなる。」としたうえで、以下の理由から「国防軍」の創設に強く反対するとの決議をしている。

① 自衛隊を、他国との軍事協力を可能にして、海外において同盟軍とともに武力行使をできる軍隊とすることを意味する。また、海外での権益を守るなどの名目で武力行使が際限なく拡大することへの歯止めがなくなるおそれがあり、憲法の基本原理である徹底した恒久平和主義を崩壊させて我が国を再び戦争へと導くおそれがある。
② 軍事機密保護法の制定、軍事裁判所等の設置、緊急事態宣言などの法制を伴っており、これらは統治機構に対する国民の民主的コントロールを後退させて民主主義の基盤を掘り崩し、平和的生存権をはじめとする基本的人権の保障を極めて危うくする。
③ 現在、北東アジアにおいては、様々な緊張関係が存在しているが、これらの紛争・対立は軍事力によって解決すべきものではなく、あくまで平和的方法による解決こそが強く求められている。自衛隊を「国防軍」とし、海外において戦争のできる軍隊とすることは、先の大戦の深刻な反省のもとに採用された恒久平和主義を放棄するものと各国から受け取られ、北東アジアの緊張を増大し、かえってわが国の安全保障を損なう。

そして、「今、我が国に求められているのは、(中略)軍事力によらない平和的方法による国際的な安全保障実現のためのリーダーシップの発揮である。当連合会は、弁護士法の定める「基本的人権の擁護と社会正義の実現」という使命に立脚し、改めて日本国憲法の前文の平和的生存権や憲法第9条に示された基本原理である徹底した恒久平和主義の意義及び基本的人権の尊重の重要性を確認し、ここに「国防軍」の創設に強く反対するものである。」と、決議した。

 

(4)2014年(平成26年)5月30日 第65回定期総会決議(仙台)

「重ねて集団的自衛権行使の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議」

 安倍内閣は、2014年(平成26年)5月に、前述した私的懇談会である「安保法制懇」の報告を受け、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈を変更することを、閣議決定によって行う方針を示した。これに対し、日弁連は、第65回定期総会で、「憲法の基本原理に関わる変更を国民の意思を直接問う手続を経ることもなく、内閣の判断で行うことは、仮に集団的自衛権の行使に「限定」を付して認めるものだとしても、憲法を最高法規とし、国務大臣等の公務員に憲法尊重擁護義務を課して(憲法第98条第1項及び第99条)、権力に縛りをかけた立憲主義という近代憲法の存在理由を根本から否定するものである。立憲主義は、全ての人々が個人として尊重されるために憲法が国家権力を制限して人権を保障するというものであり、近代自由主義国家が共有するものであって、その趣旨は、個人尊重と人権保障にある。したがって、立憲主義の否定は、これらの価値を否定することにつながり、到底容認することができない。」「当連合会はここに重ねて、政府が憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認しようとすることに対し、立憲主義及び徹底した恒久平和主義に反するものとして、強く反対する。」と、決議した。

(5)2015年(平成27年)5月29日 第66回定期総会宣言(東京)

「安全保障法制等の法案に反対し、平和と人権及び立憲主義を守るための宣言」

 2014年(平成26年)7月1日、安倍内閣は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。これに対しては、日弁連及び52全ての弁護士会から、この閣議決定に対して、抗議する会長声明が出された。さらに、その閣議決定に基づいて安全保障法制案が通常国会に上程された後に開催された日弁連の第66回定期総会では、「提出された安全保障法制を改変する法案は、憲法上許されない集団的自衛権の行使を容認するものであり、憲法第9条に真正面から違反する。」こと、「最高規範である憲法の恒久平和主義に反する極めて重大な問題であるにもかかわらず、主権者である国民に十分な説明が行われないまま」閣議決定をしたこと、法案提出前に「米国との間で「日米防衛協力のための指針」の見直しが先行して合意された」こと等を指摘して、「政府の方針が、主権者への不十分な説明のまま、対外的に決定され、憲法改正手続を経ることなく、法律の制定、改廃によって憲法第9条の改変が事実上進められようとしている。これは立憲主義に反するものであり、到底容認することができない。」とし、さらに続けて、「戦前、弁護士会は、(中略)戦争の開始と拡大に対し反対を徹底して貫くことができなかった。戦後、弁護士及び弁護士会には弁護士法1条の「基本的人権を擁護し、と社会正義を実現す」という使命が与えられた。この使命は、国民からの期待と信頼に応えるものであり、今、弁護士及び弁護士会が「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」という立場から意見を述べ行動しなければ、弁護士及び弁護士会は、先の大戦への真摯な反省と、そこから得た痛切な教訓を生かせないことになる。私たちは、1950年の第1回定期総会(広島市)に引き続いて開催された平和大会において、日本国憲法の戦争放棄の崇高な精神を徹底して、平和な世界の実現を期することを宣言した。私たちはこの決意を思い起こし、(中略)今般の安全保障法制等を改変する法案に強く反対するとともに、平和と人権、そして立憲主義を守る活動に国民と共に全力を挙げて取り組む。」と、宣言した。

 

(6)2015年(平成27年)6月18日

「安全保障法制改定法案に対する意見書」

日弁連は、第189回通常国会で審議されている安全保障法制改定法案に対して、

① 我が国に対する武力攻撃がないにもかかわらず、「存立危機事態」において集団的自衛権に基づいて他国とともに武力を行使しようとするものであること
② 「重要影響事態」及び「国際平和共同対処事態」において、武力の行使を行う外国軍隊への支援活動等を、戦闘行為の現場以外の場所ならば行えるものとすること等は、海外での武力の行使に至る危険性の高いものであること
③ 国際平和協力業務にお行ける安全確保業務やいわゆる駆け付け警護、さらには在外邦人の救出活動において、任務遂行のための武器使用を可能なものとすること等は、海外での武力の行使に至る危険性の高いものであること

を理由に、これらの法律の制定に強く反対する旨の意見書を作成し、首相等に送付した。

 

(7)2015年(平成27年)7月16日 理事会決議

 安全保障法制案は7月16日に衆議院本会議で強行採決された。その当日開催されていた第4回日弁連理事会において、85名の理事全員の賛成で強行採決に抗議することを決議し、抗議文を首相等に送付した。

 すなわち「与党推薦者を含む参考人3名の憲法学者の指摘が契機となり、これまでの国会審議を通じて、本法案の違憲性が一層明らかになりつつある。また、報道機関の世論調査においても、国会における政府の説明は不十分であり、今国会での成立に反対であるとの意見が多数を占めている。本法案は、戦後70年間維持してきた平和国家としての日本の国の在り方を根本から変えてしまう内容であり、これまでの審議時間を踏まえてもなお、更に十分な説明と徹底した議論が必要不可欠である。本日、衆議院において採決が強行されたことは、世論調査にも示されている民意を踏みにじるものであり、到底容認できない」と決議した。